まだ見ぬ「真のユビキタス」

みなさんは、ユビキタスという言葉をご存じだろうか。というより、覚えているだろうか。

この一世代昔の懐かしき流行語を、ウェブ2.0的な、とか、AJAXだ、などといった、より新しい流行語に押し流されて、忘れてしまってはいないだろうか。その志の半ばにして。

ユビキタスは、よくよく考えれば、その発想はごく自然だ。いつでも、どこからでもネットワークを利用する。インターネットがそもそもそれと似た理由で普及してきたじゃないか。そして、我々をとりまくインターネット環境は、もう十分にユビキタスになったかのように見える。

しかし、「ユビキタス完成」と祝杯をあげ、少し息をついてから次の流行に飛び移るのにはまだ早い。だって、ユビキタスはまだ未完成じゃないですか。

最初にPCとウェブブラウザで世界中からインターネットを利用できるようになった。やがてPDAや携帯電話端末など小型の移動端末でもウェブやメールが利用できるようになった。さらにはNintendoWiiブラウザやDSブラウザ、インターネット接続機能搭載のテレビやビデオデッキ、冷蔵庫に電子レンジ。我々を取り巻く至る場所に、ネットワーク機器が存在するようになった。これで「いつでもどこでも」は完璧に実現されたかに見える。しかし、実際はどうか。ユビキタスの響きに対して、なにか足りないものを感じないだろうか。

そう、コンテンツだ。「いつでもどこでも」利用できる、遍在するコンテンツがあまりにも少なすぎるのである。

ウェブを満たすコンテンツは今

ネット家電系は、ここではさて置いておいて、ウェブ利用の現状を、ユビキタスという視点からみてみたい。

歴史的順序からして、まず、ウェブ上は自然とPC向けのサイトで満たされていった。後からPDAや携帯電話がウェブ利用可能なモバイル端末として出現したが、当初ハードウェアスペックの制約から、ウェブを満たしていたPC向けコンテンツをまともに閲覧することは到底不可能だった。こうした背景から、携帯電話などのモバイル端末向けに特別に用意されたコンテンツが、ウェブ上に展開され始めた。

その後のテクノロジーの進化は目覚ましく、モバイル端末の性能も見る見る向上していったが、利用者側がその進化にぴったり尾行していけたかというと、否だった。結果、古いブラウザを載せた旧世代の端末はいつまでも市場に残った。激しい環境依存が発生し、モバイル向けコンテンツは、ほぼ、端末の型番それぞれにカスタマイズされたソースを出し分けなければならない状態になった。昔あった、ネットスケープとマイクロソフトのブラウザ戦争など比にならないほど、やっかいな状況である。

こうなると、モバイル向けのサイトは、対応しきれないほど古い(ロースペックな)端末からのアクセスを拒むようになる。すると、「対応端末」として認識されないPCからのアクセスも、巻き添えを喰って拒まれていることが多いように感じる。見れなくないのに。

結果、モバイル端末からPC向けサイトを見れない(これは、まぁ仕方ないとして)、かつ、PCからモバイルサイトを見ることもできないという状況が生まれた。これが現在である。

この状況を、「いつでもどこからでも利用できる」と呼べるだろうか。いや呼べまい。だって、利用できないじゃないか。

今日、ウェブにおけるユビキタス思想を完成させるためには、まず、コンテンツのあり方が見直されるべきなのではなかろうか。フルブラウザが標準的にどのモバイル端末にも搭載されるようになった昨今、ハードウェアスペックに由来する障壁は、もはやないといっても過言ではない。コンテンツのあり方ひとつで、真のユビキタスを実現できる環境は、ほぼ整ってきているのだ。

真のユビキタスとは?

というわけで、真のユビキタスが実現された世界とはどのようなものか、真のユビキタスを実現するために、コンテンツはどうあるべきか、他に必要なものはあるか、何を心がけ、改善すべきか考えてみようと思う。

ウェブコンテンツ制作者に求められる努力

そもそもコンテンツ自体が、ユビキタスに対してウェルカムになっていなければならない。まずは、ウェブコンテンツメーカーが心得るべき点について考えてみる。

誰(どんな端末)でも閲覧可能なコンテンツ

ユビキタスとは、いつでもどこでもネットワークに接続できればよいのではない。接続して何をするかが重要で、つまり、コンテンツがユビキタスな作りになっていなければ、ユビキタスは意味を持たない。1つのコンテンツは、知りうる限り広範なクライアント端末を意識し、可能な限り多くの端末に対応することが求められる。

ここでいう「対応」とは、必ずしも完全なコンテンツを提供することを意味していない。スペックの低い端末に対して、彼らが表示できる範囲で最適な出力を提供することである。

非対応のクライアントに意地悪しない

自サイトの対応ブラウザ(端末)リストに載ってないからと言って、門前払いにしないこと。閲覧できる能力を持っているのに見させてもらえないのは、これは意地悪でしかない。携帯端末でも見れるサイトがPCで見れないとか、同じPCだとしても、IEかFirefox以外のブラウザからのアクセスは非対応ページにジャンプしてしまうなど、もったいないサイトはまだたくさんある。
想定外のクライアントだとしても、完全な形で表示がされなかったとしても、断片的なパーツからでも読みとれる情報はある。ぜひ意地悪しないでオープンになってもらいたい。

もし、JavaScriptやサーバサイドの何かしらの技術でクライアントを判断する場合は、if文の最後に、デフォルトのelseの処理を実装するように心がけたい。

過剰に重たい構造にしない

モバイル端末から閲覧する場合、PCでも、通信速度が遅い場合、ページ単位の容量が過剰に重いと、閲覧できない場合がある。特にモバイル端末の場合は、フルブラウザといえどもメモリの限界はさほど高くはない。

必要なコンテンツにどうしてもそれだけの容量がかかる(画像やビデオなど)なら致し方ないが、装飾類なのであれば省かれるべきである。そうした装飾類は、直接HTMLに置かず、スタイルシートに分離するという管理も有効だ。ユーザは自分の環境に合わせてスタイルシートのオン/オフを選択できるからだ。もちろんブラウザによってはオフにできない場合もあるが、ウェブサイト側にできる努力はここまでだ。逆にユーザが、それができるブラウザを選択することもできる。

ウェブ標準に従ったHTML構造をこころがける

必ずしも厳密にウェブ標準に沿っている必要はないと思うが、ウェブ標準に近づけば近づくほど、そのサイトを閲覧できる端末は増える。その為のウェブ標準だ。

このことは、閲覧性のみならず、検索性という観点にも寄与するだろう。ロボット検索エンジンがクロールしたサイトが、どんな端末向けに作られたコンテンツなのかを考える必要がなくなるからだ。そうなれば、WWW上のあらゆるウェブページがひとつのインデックスにすっきり収まり、PCサイト検索だの携帯サイト検索だのを選ぶ必要もなくなる。人はただ、何も気にせず、見つけたサイトにアクセスするだけだ。

1コンテンツ 1URLが理想

機械的にクライアントブラウザを区別して、見せるべきコンテンツ(の体裁)を切り替えるのは結構なことだ。欲を言えば、同じコンテンツであれば、PC用でもモバイル用でも、同じURLであって欲しい。例えば、自分がPC端末で見つけた情報を友達に教えるときに、URLをメールに張り付けて送るだろう。その友達は、携帯電話でこのメールを受けたとする。このとき、携帯向けとPC向けのURLが同じければ、メッセージは必ず伝わるが、違っていた場合には、友達はそのコンテンツを読むことができない。1つのコンテンツは、誰がアクセスしようと、同じURLで待っていて欲しいのは、そのためだ。

ブラウザ側に求められる努力

これらのコンテンツメーカーの心得で、およそほとんどの端末が、およそほとんどのウェブ資産を共有できるようになるだろう。

ただし、そのためには、コンテンツばかりでなく、ブラウザや端末側にももう少し頑張ってもらう必要がある。ハードウェアスペックの低いモバイル端末の場合には特に重要だ。

ウェブ標準のサポート

当然だが、ウェブ標準に示された挙動をして欲しい。JavaScriptが使えるとか、そういうのはむしろプライオリティは低く、HTMLとスタイルシートの標準対応に重きを置いて欲しい、と言うのが私の感じるところだ。

自分が media="handheld" であることを知って欲しい

これはスタイルシートに関する項目だ。スタイルシートは、端末の種類によって適用するか否かを指定できる。media属性にhandheldを指定したらスモールスクリーン端末専用、screenという値を設定したら、それはPC専用のスタイルシートであることを示す。しかし、端末側がこれに対応していなかったりすると、意味がなくなってしまう。

この仕組みは画期的で、静的なワンソースでPC向けと携帯向けの画面のだし分けを実現する。アクセス数の多いサイトでは、同一URLでのコンテンツのだし分け処理をサーバ側のプログラムで解決しようとした場合に、サーバにかなりの負荷を強いることになる。しかし、media属性でスタイルシートを切り替える方式であれば、静的に置かれた1つのソースで対応できるのだ。

私がこれまでに試した中では、この仕組みに対応しているのは、auのPCサイトビュワー(Opera Browser)だけだ。早急に業界標準になって欲しい。

スタイルシートの扱いに自由を

同じくスタイルシートについてだが、今度はブラウザ自体のインターフェイスの視点から。

ウェブサイトが、ウェブ標準に従って実装されている前提となるが、スタイルシートをオフにすれば、およそほとんどの端末から、およそほとんどのコンテンツが利用できるものとなる。しかし、モバイル端末向けに提供されているフルブラウザやPCサイトビュワーには、これができないものが多い。media属性の切り替えができるOperaでも、どうやらオフにはできない。

画像の読み込みをオフにする機能は一般的に備わっているが、これでは必要な画像コンテンツ(ニュースの記事で引用する図など)も表示されなくなってしまう。スタイルシートならば、コンテンツを読み解くのに必要な画像と、それ以外の装飾用画像を区別できるのに、この点は惜しいところだ。

このような環境がうまく整備されてくれば、ユーザはより無心に、「いつでもどこでも」ウェブサーフィンをできるようになる。

ウェブのユビキタス、基本はやはりHTMLドキュメント

挙げたうちのほとんどがスタイルシートの扱いについて触れた内容だが、それは、私が、この点こそがユビキタスの基礎を支えるものだと考えているがゆえである。ユビキタスの基礎は、「携帯電話のような小さな端末でもすごいことができる」ではない。「当たり前のことが当たり前にできる」だと思う。すべての「すごいこと」は、「当たり前のこと」の上に積み上げられてゆくものではなかろうか。そして、ウェブコンテンツという括りのなかで、最も基礎的で最も当たり前なことは、「HTMLドキュメントを正しく読めること」である。どんなリッチなコンテンツに対応したとしても、HTMLを満足に読み解けなければ、ユーザはそこへリーチできない。いまさら言うまでもなく、WWWを構成する要素のほとんどすべては、紛れもなくHTMLドキュメントなのだから。

モバイル端末でJavaScriptが動作するのはすごいと思う。しかし、携帯端末上でどんなJavaScriptを動かしたら便利かと考えると、全くないとは言わないが、なかなかシビレるアイデアは思いつかない。それよりも、マークアップの正しい解釈と、発信者の意図を正確に伝えるスタイルシートの表現力の方が遙かに実用的だと感じるのである。

さぁ、真のユビキタスウェブへ

さぁ、いかがでしょう。ブラウザメーカー、コンテンツメーカー双方による、これらの努力の先には、真のユビキタスが見えはしないだろうか。

そもそも、1台の携帯電話に、「ブラウザ」と「フルブラウザ」が入っているということ自体が不自然である。
なぜ、ユーザがPC向けのサイトか携帯向けのサイトかを、自分で判断して使い分けなければならないのか。どちらも、同じインターネットという領域に平等に設置された、ただのHTMLなのに。

これは不便ではないか。インターネットには、「いつでもどこでも」利用できたらうれしいのに、残念ながらそこへ到達できていない資産が、まだまだ山ほどに存在する。同時に、制作者、提供者としての我々は、ユーザに対して、こんな不便をかけ続けていてはならないと感じるのだ。

かつてPC向けウェブの世界で起こったブラウザ戦争は、W3Cを中心として、ブラウザメーカー、ウェブコンテンツメーカー双方への働きかけの末、現在ではウェブ標準が当然のこととして認識されるようになった。携帯電話端末他スモールスクリーン、モバイルの世界でも、また、今後出現する新しいウェブ端末でも、同じ動きが起こり、真のユビキタスを実現していけたらよいと思う。


[2007/08/09 追記] SoftBank端末のモバイルブラウザも、media属性(media type)に対応しているみたいです。

[2007/08/16 追記] SoftBank端末のモバイルブラウザは、JavaScriptが使えるみたいです。


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