公開日: 2007年10月24日(Wed)
自分の天職を求める時に、「自分に向いてる仕事か否か」という点が、ひとつの指標になっている。これは、経験的な過去への反省に基づいて導き出そうとするアプローチと考えられるが、この手法から天職に辿り着けた人がいたなら、それは奇跡が起きたのとほぼ等しい出来事だ。
自分がある仕事に向いているか否かは、ある程度予測はできるにせよ、それを検証するためには、実際にやってみなければわからない。その意味で、「向いている」は実は間違いで、「向いていたようだ」という方が正しい。ひとつひとついろんな仕事を経験していき、消去法的に網羅していくアプローチであるが、しかし現代社会において、職業は数え切れないほど無数に存在するし、しかも、生まれたり、消えたりする場合もある。これを網羅するためには、果てしなく転職を繰り返さざるを得ず、その末にめでたく天職にたどり着くために、どれだけの時間が必要だろうか。一生やり続けたとして、網羅できるだろうか。おそらくその可能性はきわめて低い。それで天職にめぐり合えたならば、まさに奇跡と呼べるであろう。
「向いている」を探すのは不毛な話だ。それよりも、「やりたい」を求めた方がいい。「やりたい」は現在に確認できる感情であり、結果を未来に求めるアプローチだ。「やりたい」かどうかは、実際に経験する前に検証することができる。あとは、その時感じた「やりたい」を、信じぬけばいい。そうして「やりたい」に向かって取り組んでいけば、必ず、確実に、そこへ近づいていくことができる。多少辛いこともあるかも知れないが、「確実である」ということは、それだけで安心できることだ。
後ろに向くより前向きに。人生を少し楽しくする秘訣かもしれない。
そこに便器がある。見ず知らずの不特定多数の人間が糞や尿をタレる汚い器だ。あなたはこの便器を掃除する仕事をしている。別にやりたくてやっている仕事じゃないし、おもしろくもない。つまり、この仕事が嫌いである。
では、どんな仕事なら好きになれるだろうか。好きにな...
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公開日: 2007年10月24日(Wed)