芸術は混沌だ。

2009年8月17日放送の爆問学問「爆笑問題のニッポンの教養」スペシャル:『表現力!爆笑問題×東京藝術大学』。そのちょっと前に、東京藝術大学の宮田学長の出てた『アートのハート前編後編』の再放送もやってて、もう一回観た。(本放送はもう1年以上前だったんだ・・・もうそんなに経ったか)

『アートのハート』のときの爆問太田と宮田学長の激論は、芸術ってなんだよとか、伝えるってなにとか、そんなような内容だったと思う。両者とも言ってることは意味わかるし、そうだと思うんだけど、相容れず平行線で、どうも釈然としない。聞いてる僕も釈然とせず、自分なりに悶々とそのテーマについて考えてきた。

今回の芸大スペシャルでも言ってる話の流れは大筋同じで、やっぱり相容れず平行線。しかも前回より登場人物多いし。まとまらない。

だけど今回、宮田学長が爆問太田に言った「偏ってない?」っていうのを聞いて、なんとなく芸術って何なのか納得できた気がしたんで、記事にしてみることにした。(前置き長っ)

芸術ってなんだろうって、いろんな人が語るし、辞書に載ってたりもするんだけど、

  • 芸術の語源はギリシャ語の技術だったとか、
  • 超絶技巧をアートと言ったり、
  • 芸術は爆発だって言ってみたり、
  • メッセージがこもってなきゃダメだとか、
  • 自分でも何作ったかわからないとか、
  • 伝統を後世に伝えたいとか、絶やしちゃいけないとか、
  • そんな古臭い表現は見飽きたぜ、とか、
  • 「解る」必要なんてないんだとか、
  • いつの誰のために表現するのかとか、
  • 10人にしか見せられない作品に意味があるのかないのかとか、
  • わかんないけどカッコイイんだからいいじゃんとか、
  • 大勢の人に伝えなければ意味がないのかとか、
  • 大勢の人に伝えていれば意味があるのかとか、
  • 芸術は能書きじゃねぇんだとか、

もうとにかくいろんなことを言う人がいる。

こういう度重なる激論は、実は平行線なんじゃなくて、かみ合ってないんだなって思った。

持ってる技術も、手口も、場も、時も違う表現者たちが、みんなそれぞれの一人称視点で芸術を語る。だからいろんな解釈があるし、いろんな目的があるし、それぞれ別の伝えたい相手がいる。それは、10人の観客かも知れないし、3万人の視聴者かも知れないし、300年後の悩める少年や、戦争に巻き込まれそうになった群集かも知れないし、あるいは5年後の自分かも知れないし、今まさにこの刹那を生きる自分自身ただ一人が伝えたい相手かも知れない。(自分自身にだって、表現して伝えてあげて初めて解る自分自身ということもある)

そのどれにも価値があって芸術と呼ぶに不足ない。少なくても主観的には。

そういういろんな人の「芸術」を認めようとすると、つまりこれって「全て」のことだ。それぞれの「私」を取り巻く「主観世界の全体」が、すなわち「芸術」。だから、みんなが「芸術」って呼んでるものは、それぞれ別々のものたちであって当然。だから激論したってかみ合わないのも当然だった。

「芸術」って、それくらい膨大で混沌とした概念なんだと思う。

これを他人とかみ合う議論にするには、混沌としたままじゃ無理で、もう少し細かく整理分類してテーマを絞っていかなきゃいけない。それが、音楽とか絵画とか漫才とか落語っていう表現形態だったり、ロックとかポップとかグランジとかいうジャンルだったりするんだろうけど、しかし、だからって無理やり分類する必要性も特にない。

語れなくていい。かみ合わなくてもいい。

開いていてもいいし、閉じていてもいい。

みんなで好きなこと言ってるだけでもいい。

役に立ってもいいし、立たなくてもいい。

芸術を受け取った人も、好きに解釈すればいい。

好きに評価すればいい。

その価値は、お金で計算してもいいし、お金では量れなくてもいい。

芸術は混沌だ。

混沌は、無限の可能性を内包する。

世界がだんだん平和になってきて、だんだん豊かになってきて、科学技術が進歩して、みんなの苦労が減ってくるにつれて、芸術の役割ってだんだん小さくなってきてるような気がしてたけど、こう考えてみると、むしろ人類にとっては数少ない貴重なノビシロなんじゃないかと思えてきた。「芸術」は、こんな自由奔放な主観的世界のままでいいんだ。だから「芸術」は、混沌としたよくわからない状態のままの方が面白いのかもな。って、思いました。

ちなみに、去年『アートのハート』を観たときのことを振り返ると、こんなことこんなことなんかを考えていたようだ。ずいぶん違うなぁ。


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