【考察】創造性の本質は『カオス』である

わたしは、クリエイティブが多分得意な会社の、クリエイティブと名のつくセクションで働いています。そこでわたしがやっている仕事は、多分クリエイティブな仕事です。そうなはずです。

ということは、わたしたちのクライアントは、わたしたちにクリエイティブなサービスを期待しているはずだし、クリエイティブであることにお金を払ってくれているんだと思います。そうでなければ、何かがおかしいのです。

なので、わたしたちは常に、十分にクリエイティブでなければいけません。でも、本当にクリエイティブなのかと問われると・・・???

はて、どんな条件を満たしていたらクリエイティブだと胸を張って言えるのでしょう??

自分の仕事に対する誇りと深い理解を得んがため、今回は「クリエイティビティ(=創造性)とは何か?」その本質について考えてみたいと思います。

"創造的" の必須要件だと思われがちな、でも実は関係ないこと

わたしはろくに知識も技術もないまま、クリエイティブっぽい仕事にいきなり就きました。先輩や上司から、クリエイティブな仕事のやり方をゼロから教えられる中で、"クリエイティブってこういうこと" というイメージができてきました。

はじめに、そうした "クリエイティブ" というキーワードからイメージできそうな要素の中から、欠かせない要件になりそうな事柄を幾つか挙げてみて、それぞれ本当に重要な事なのかどうか考えてみました。

すると、どれもこれも、いかにももっともらしい感じはするのですが、どうも上手く説明がつかない場合がありそうで、要件としては適切ではなさそうなことが見えてきました。

動機(モチベーション) があること

誰かに言われて作るものよりも、自分の内から湧き上がる無限の創造意欲に突き動かされ自由に作るものの方が、ずっと創造的なように感じられます。

確かにそういうこともあるかもしれませんが、必ずしもそうとも限らないようです。

少し前にネットで話題になった、スペインの修道院での、あるおばあちゃんの修復画騒動をご存知でしょうか? この例から考えてみたいと思います。

80歳のセシリアさんというおばあちゃんが、修道院のある風化したキリストの絵を、善意から修復しようと試みました。ところが出来上がった修復画は、元の絵とは似ても似つかぬおかしな出来栄えになってしまいました。これがあまりにヒドイ(もといクリエイティブだ)ということでネット中で話題になり、修復画をあしらったTシャツやらマグカップなどまで生まれ、大騒ぎになりました。 このあまりにも有名になった修復画をひと目見ようと、世界中から観光客が殺到したそうです

このおばあちゃんは善意から絵を元通りに修復したかっただけで、創造したい動機はありませんでした。それなのに、出来上がった絵からは(結果の善し悪しは差し置いて)確かに創造性が感じられると思います。

その他、偶然から生まれた創造的な発明の例はたくさんあります。 例えば、アイスキャンディ はその1つです。

1905年、サンフランシスコの11歳の少年フランク・エパーソンが発明した。寒いある日、彼はジュースに混ぜ棒を挿したまま外に放置してしまった。するとジュースが凍ってキャンディーのようになった。これがアイスキャンディーとなった。 (Wikipediaより引用)

とのこと。ここでも、アイスキャンディーを作ろうという動機があったことは認められません。

意図やコンセプトがあること

わたしたちが仕事の中でクリエイションを行うとき、必ず設計意図やコンセプトが問われます。ならば当然クリエイティブに必要な要素だと思われそうです。

しかし、前述の「おばあちゃんの修復画」や「アイスキャンディー」の例に設計意図やコンセプトが認められないことからも、実は創造性の要素ではなさそうなことがわかります。

よい評価を得ること、価値を生みだすこと

これもうんざりするほど言われることです。価値を出さなければ、クリエイティブではない!

果たして本当にそうでしょうか?

価値を判定するのは評価です。もし、価値を出さなければ創造的と言えないのであれば、創造的かどうかは評価を受けるまで確定せず、かつ、別の評価を受けた場合には、創造的だったものがそうではなくなってしまう可能性もあることになります。

ゴッホの例を考えてみましょう。

ゴッホの生涯は総じて貧しく、弟テオのサポートを受けながら絵を描き続けましたが、その価値はなかなか認められず、生前売れたのは「赤い葡萄畑」だけでした。結局ゴッホは、売れないままで生涯を閉じました。

ゴッホの作品が高く評価され、広く知られるようになったのは、彼の死後しばらくしてからのことでした。

いまでは、ゴッホの作品を見てクリエイティブではないと考える人はいないでしょう。しかし、価値が認められる前、その時点での同じ作品について言えばどうでしょうか? やはり同じ作品なのでクリエイティブだと考えられるでしょうか? それとも、価値が認められた現在はクリエイティブと考えられる同じ作品でも、評価が低い当時はクリエイティブではなかったと考えるべきなのでしょうか?

この問題は、創造的かどうかは評価前にすでに決定されている(=評価と創造的かどうかは無関係)と考えれば、すっきりしますよね。

無から有を生み出すこと

何もないところから、何かを生み出すこと。確かに創造のイメージにぴったりです。

しかし、今日クリエイティブといわれる物事は、既存のものの改善や組み合わせと、ちょっとしたアドオン程度で成立していることがほとんどです(もしかしたら、すべてかも知れません)。

新しい何かを生み出すこと

なにも "無" からでなくても、ちょっとでもいいから "新しい" 何かを生んでいれば、創造といえるのではないか? "創造" というくらいなんだから、流石にこれは要件になりそうです。

確かに、"新しい何か" が含まれていないものを "創造的だ" と受け取ることには抵抗があります。 しかし、「創造されたものは必ず新しいか?」と問われると、そうとも言い切りにくいケースがありました。

例えば、ミュージシャンのライブ会場を想像してください。普通ライブといえば生演奏ですから、同じ曲を演奏しても、演奏するたびに少しずつ表情をかえ、趣をかえ、新しい印象を与えてくれるものです。ライブ演奏はクリエイティブだと感じられるでしょう。

あるミュージシャンが、同じステージで2日間のスケジュールで、2日とも同じ曲目で生演奏を披露しました。普通であれば、初日の演奏と2日目の演奏では少しずつ違う演奏になるものですが、この講演では偶然にも、まっっっっっったく同じ演奏が再現されました。

普通起きることではありませんが、絶対に起きないとは言えないことです。これがもし起きてしまったとき、これをクリエイティブと呼んでもよいでしょうか?

もし、初日も2日目も会場に足を運び、同じ演奏を聴いた人がいたら、もしかしたらクリエイティブとは感じられないかも知れません。しかし、初日だけ、あるいは2日目だけを聴いた人にとっては普通のライブと同じですから、クリエイティブだと感じられるはずです。

もう1つ例を考えてみます。

AさんとBさんの2人のミュージシャンがいます。あるとき、Aさんが新曲Aを作りました。それからしばらくして、Bさんが新曲Bを作りました。

このとき偶然にも、Aさんの新曲AとBさんの新曲Bは、まっっっっっったく同じ曲に仕上がっていました。普通に考えれば、BさんがAさんの新曲Aを盗作したのではないか、と疑いがかかってしかるべきシチュエーションですが、事実、BさんはAさんのことも新曲Aのことも知りませんでした。

これも、前述のライブの例と同じく、普通起きることではないが、絶対に起きないとは言い切れないことの例です。この場合、新曲Bはクリエイティブと呼べるでしょうか?

わたしは、やはりクリエイティブだと言わないわけにはいかないのではないか、と考えました。 もしも、これがクリエイティブではないとすると、世界中の何もかもがクリエイティブではない可能性を否定できなくなってしまうからです。

創造性の本質を「カオス」だと仮定してみる

こうして、クリエイティビティの要件ではないかと考えられそうなことを1つ1つ突き詰めていくと、どれも成立せず、なんと何もなくなってしまいました。

んーーー、行き詰まってしまった。"創造" だから、やっぱり "新しさ" に何かしらの関係はありそうだけれども、まったく同じアウトプットが得られてもよくて、かつ "新しい感じ" がする要素は・・・んーーーー、何だろう?

そこで閃いたのが、この記事のタイトルにあった カオス (=混沌) です。

「創造性の本質は『カオス』である」。 ----- こう考えてみると、これまで挙げてきた幾つかの例も、矛盾なく整理できそうな気がしてきました。

カオス(混沌)とは何か

まず、言葉を整理したいと思います。

カオスの概念は、「風が吹いたら桶屋が儲かる」や「バタフライ・エフェクト」のような言葉で知られています。定義を調べると、「同じ結果を得るために無限の精度の初期設定を要することがら」のように説明されるようです。

これは、「風が吹いたら桶屋が儲かる」をもう一度再現しようとした場合、天候、風向き、風の強さ、その時風下には何があるか、湿度や気温・・・など、前提が完全に一致していなければ同じ結果を再現できないことを意味しています。これを、「無限の精度の初期設定」と表現しています。

当然、これらをまったく同じ状態から風を吹かせることは現実的には無理です。無理だとしたら、今度は「桶屋が儲かる」以外のどんな結果につながっていくか、やってみなければわかりません。

同じ結果を再現できないこと(非再現性)、どんな結果が得られるか予測できないこと(予測不可能性)。ここでは、この2つの性質をとって、カオスと表現したいと思います。

対立概念 コスモス(秩序)

カオス(混沌)の反対は、コスモス(秩序) です。秩序が守られているところでは、ものごとは期待通りの振る舞いをするので、結果を予測することができます。

例えば、きれいに整理整頓されたデスクでは、どの引き出しを開けたら何が出てくるか容易に予測できます。朝9時に学校にくるべき、という秩序が守られていれば、朝9時に全員揃うことも予測できることになります。

例えば、CDは、かなり再現性が高い記録メディアです。同じステージで上演される音楽も、ライブ演奏されるのとCDが再生されるのでは再現性がまったく異なります。CD音源はほぼ完全な秩序であり、まったく同じ演奏を再現できるのに対し、ライブ演奏の場合はさまざまな微妙な要因(ミュージシャンの体調や湿度など)が演奏内容に影響を与えるため、予測不可能性が高いといえます。

創造的であればあるほどよいか?

クリエイティブを仕事にしている身からすれば、創造性は高ければ高いほどよい、と思いたいところです。しかし現実はそうではありません。

人類はこれまでに様々なすばらしいものを創造してきました。しかし、その中には マシンガン や 原子力爆弾 のような、多くの命を奪う危険な創造物が含まれていることもまた事実です。

このような悲劇を創造してしまわないよう、創造性には制限をかけるべき部分があることを否定することはできません。コンプライアンスのような秩序を上手く用いて、創造性を制御しながら活用していく必要があるでしょう。

ここで、冒頭で検証し却下されたいくつかの仮説を思い出してみると、中には秩序にあたる要素が幾つか含まれていたことに気づきます。 "意図" や "コンセプト"、"よい評価"、"価値" などは、秩序の例です。

秩序が機能している場では、結果を予測しやすくなります。つまり、創造性は秩序によって制限を受けることになります。創造性は本来、何が飛び出すかわからない自由な性質です。それが、秩序により禁止事項や活動の幅を与えられると、その外側へ出られなくなります。

趣味のアーティストならわかりませんが、商業ベースの仕事では、決まった課題を解決するという明確な目的を持って創造活動が行われます。 "何が飛び出すかわからない" のでは、課題解決を約束できなくなってしまうので、コンセプトや提供価値を定義し、期待される結果の範囲に制限をかける必要があるわけです。

わたしたちが創造性を高めるために絶対に必要だと思っていた、コンセプトや提供価値は、実は、創造性を制限しコントロールするために用いる拘束具だったのです。

秩序 は 混沌 から創造される

秩序は、世界にもともとあったわけではありません。秩序もまた、創造物の1つです。

混沌から生み出された様々な結果は、やがて新しい秩序となって定着していく性質があるようです。

例えば、プラモデルの金型を想像してみるとわかりやすいかもしれません。

最初の金型を制作する過程には、創造性が働きます。同じ金型をもう一度作ろうとしても、必ずどこか違った金型ができてしまいます。これは、創造的な性質です(非再現性)。

しかし、一度できてしまった金型にプラスチックを流し込んで、プラモデルを生産することは、創造的とは言えません。何度流し込んでも、同じプラモデルができてくるからです(再現可能)。

これは、創造的なプロセス(混沌)によって、"プラモデルの金型" (新しい秩序) が生まれた、と捉えることができます。

野球のバッティング練習のような例でも見ることができます。 バッティングの練習を始めた直後は、まだ下手なので、バットの軌道はかなりぶれます(予測不可能性)。しかし、これを繰り返し練習を重ねていくことで、だんだん上達してきて、同じようにバットを振ることができるようになってきます。これも、混沌から生まれた秩序の一例です。

クリエイターが働かせる「センス」も、これと同様の秩序の1つだと考えられそうです。

創造的、非創造的なプラクティス

ここまでの整理を踏まえて、創造性を引き出す、あるいはコントロールするためにできることには、どんなことがあるか考えてみました。

セレンディピティという言葉があります。Wikipediaを引用すると「素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること、ふとした偶然をきっかけに幸運をつかみ取ること」という意味です。偶然的な刺激は、気付き、ひらめき、発見のような創造的な体験をもたらします。

創造性の結果は予測できないので、期待するアウトプットを必ず引き出すことを保証するのは困難です。しかし、セレンディピティを起こすことが期待するアウトプットに繋がるなら、それが起きうる機会をできるだけ多く作れば、期待するアウトプットが得られる可能性を高めることができるでしょう。

要するに、"数打てば当たる" を実践すればよいことになります。

創造的なプラクティスの例

創造性を開放し、その可能性を最大化することができるプラクティスの例を挙げてみます。この他にも、もっとたくさんあると思います。

自由、規制緩和

自由であることは、行動可能範囲が広いということです。必然的に、アウトプットの可能性に広がりをもたらすでしょう。 規制をゆるめ、自由奔放であることを許すポリシーは、創造性を引き出すことにつながります。

散らかった机

優れたクリエイターの多くは、自分のデスクが散らかっているそうです。(他人からはそう見える、というだけかもしれませんが)

散らかった空間では、何がどこにあるか把握できません。よって、ふと目を泳がせたときに、たまたま何が目につくか予測ができない状況です。この予測不可能性が、創造性を刺激するのかも知れません。

車輪の再発明

この言葉は「広く受け入れられ確立されている技術や解決法を知らずに(または意図的に無視して)、同様のものを再び一から作ること(Wikipediaより)」という意味で、普通「無駄な仕事してんじゃねーよ」という皮肉を込めて使われます。これは確かに一見して効率を上げそうなポリシーに見えますが、一方で創造性を封印するための呪文でもあります。

車輪の再発明が本当にただの無駄かどうかは、車輪の発展をみれば明らかです。馬車が主流だった時代の木製の車輪では、現在のトラックは走れません。現在主流のゴム製の車輪は、車輪を繰り返し発明し続けてきた先達の創造活動の結果です。そればかりか、車輪はこの先もまだまだ発展していきそうな勢いです。

今日、一般向けの乗用車のバリエーションがこれほど豊富なのも、覚えきれないほどたくさんのプログラミング言語が生まれ使われていることも、車輪の再発明 が創造しつづけるプロセスであることを示しているでしょう。

今日の成功は明日の失敗です。作ることをやめれば、それ以上何も生まれなくなってしまうのです。

失敗、エラー

カオスの結果は予測できません。なので、失敗やエラーは創造的な活動には常につきものです。「優れたキャッチコピーを1つ作るために100のアイデアを出せ」とはよく言われることです。ダイソンの掃除機が商品化されるまでに5127台の試作(失敗作)を作ったそうです。

失敗は創造の種です。むしろ、失敗そのものも創造なのです。 失敗に寛容でなければ、クリエイティビティの恩恵を受けることはできません。

ダイバーシティ(多様性)

ダイバーシティは、多様な宗教や民族、性別、価値観、考え方を認め、受け入れようとする考え方です。チーム、コミュニティ、組織、そして社会全体が多様な価値観を内包していれば、その分だけセレンディピティが起きやすい環境になるでしょう。

非創造的なプラクティスの例

非創造的なプラクティスも無数にありそうですが、ここではいくつかの例を挙げてみます。

  • コンセプト
  • 厳しい規則
  • 法律、コンプライアンス
  • 評価、価値の要求
  • 効率化、オートメーション
  • プレッシャーをかけること

これらの非創造的なプラクティスは、決して排除すべき不要な要素という意味ではありません。予測不可能な創造性に制限を加え、制御するために有用な秩序です。 用法用量を守り、創造性を適切にマネジメントしていくことが重要です。

まとめ

  • 創造性(クリエイティビティ)の本質は『カオス』である。
  • カオス(混沌)の反対はコスモス(秩序)である。
  • 創造性(カオス)から、新しい秩序が生まれる。
  • 創造性から生まれた秩序には、創造性を制限する作用がある。
  • 秩序を減らし、偶然が起きる可能性を増やすことは、創造性を引き出すことに繋がる。
  • 創造性は、時には危険なものを生み出すこともある。
  • 創造性を安全に制御するためには、ある種の秩序を用い、制限をかける必要がある。
  • 創造性を高めるために欠かせないと思っていた、コンセプトや制作意図、評価価値などは、実は創造性を制限し、制御するための秩序の1つだった。

こう捉えてみると、クリエイティブの現場を取り巻く様々な要素を上手く整理できそうに思いますが、いかがでしょうか?

これらの気づきを受けて改めて考えると、創造性を上げたいがために厳しいルールを作ったり、評価基準を厳しくしたり、みんなが同じ手順で仕事をするように標準化しようとしたり、良かれと思って真逆のことをやってしまっていることがある、ということに気が付きます。たくさんの失敗を前提にしないと、創造的な成果は得られないことも重要な気付きだと思います。

混沌と秩序、アクセルとブレーキのような関係で成り立っているということを踏まえて、効果的に創造性を引き出す方法を実践することが、クリエイターにとっても、クライアントにとっても、望ましい結果を導く秘訣になるのではないでしょうか。

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ときにはデザイナ、ときにはディレクタ、ときにはプログラマ、ときには何でも屋と、ウェブの世界で未熟ながらもいろいろやっている、コヤナギトモヤです。

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