公開日: 2010年05月08日(Sat)
なんか話題になってた『デキビジ』という番組の勝間和代と西村ひろゆきの対談、いい感じで盛り上がってましたねぇ。親近感がわきました。ぜひまた再戦して欲しいです。
さて、対談の中身はまぁどうでもいいとして、ちょっぴり気になったことがある。勝間さんが『幸せ指数』だか『幸福指数』だかっていう言葉を使ってた気がするのだけど、これは何? もしかして、人の幸せ度合いを絶対評価しようという試みだろうか?
もしそうで、本当にそんなことができるなら、画期的だ。
「人が幸福かどうか」って、主観的なものだから他人がそれを測ることは無理で、相対的なものだから絶対値として他人のそれと比較することはできない。
人は幸せであることに次第に慣れる。水道をひねったらいつでも水が出てくるということは、はじめのうちは幸福に感じられるだろうけれども、水道がある生活に慣れればそれは当たり前のことになって幸福でも不幸でもなくなる。そして、カルキ臭くて飲めなくなると、それに不満を漏らすようになる。
お金がなくて生活に困っているときに宝くじに当たったひとは幸福かもしれないが、使っても使ってもなくならないほどの大金を持っていれば幸福かというと、そうとも限らない。(億単位のお小遣いを貰ってても鳩山由紀夫は幸せそうには見えない)
ビックリマンを買ってシャーマンカーンが当たったらとびっきり幸福だけど、ビックリマンを買うたびに毎回シャーマンカーンが当たってたらそのうち嬉しくもなんともなくなる。
それから、嬉しい出来事があったとか、失恋した直後だったとか、人生のタイミングによって起伏がある。常に幸福な人とか、常に不幸な人がもしがいたなら、その人はたぶん病院へ行った方がいい。
昨日より今日が、今日より明日がどうかというベクトルの角度が幸福度であって、幸福に絶対座標などというのは存在しない。
と、少なくても僕はそう思っている。
ではいったい、『幸福指数』というのはどうやって出した数字なのだろう? たぶんアンケートなんじゃないかと思うけど、どんな質問をしたんだろうか?
質問の言い回しとか、回答の求め方、どんな場所で、誰と一緒だったかとか、そういう些細な環境変数によって全然違う結果が得られちゃうようなデリケートな項目なんじゃないのかな? それによっては、同じ結果でも見方が変わるかも知れないし、そもそも社会問題の何かの参考にしていいような信頼できるデータと言えるのだろうか?
もし本当にそんなことが言えるなら、いよいよ画期的だ。
スーパーゼウスではなく、なぜシャーマンカーンなのでしょうか?
>ぴ さん
No2に憧れてしまうんすよねー。
リーダーとかトップとかじゃなくて。
なるへそーw シャーマンカーン、一度当たったことありますそういえばw
ひろゆきが幸福度ふくめ、今回の対談を自分でまとめていたのでURLはっときますね。
▽勝間さん対談の睡眠不足の反省と、幸福論
http://hiro.asks.jp/68256.html
>ぴ さん
サンキューです!!
公開日: 2010年05月08日(Sat)