公開日: 2013年01月13日(Sun)
食事中、子供がテーブルの少し遠いところにあるしょうゆ差しを取ろうとして、途中に置いてあったコップに袖を引っかけ、水をこぼす。叱られて、泣いて、しょうゆ差しを取りたいだけのときにも、コップに気を使わなければならないのだ、ということを知る。そうするうちに、だんだんコップも気にかけることができるようになっていく。
彼にはコップが見えていたはずだけど、見えていなかった。視界に入っていたはずなのに、気づいていなかった。
彼はしょうゆ差しが欲しかっただけ。そのとき、コップは関係ない。
だけど彼は、叱られて、コップと自分が無関係ではないことに気がづくと、見えるようになった。こういう気づきは、大人になってもずっと続く。
原子力発電のリスクについて、まったく聞いたこともない人はほとんどいなかったはず。だけど、気に留めなかった。自分とは関係ないと思っていたから、視界に入っていても、見えていなかった。
大人になっても、そんなことは身の回りにいくらでもある。政治とか、家庭とか、仕事とか、どこにでも。
自分と関係のないものは、見えない。
だから、身の回りに見えているはずのいろいろな物事と、自分との関係を意識するようにしていると、そのたびに、少しずつ視野が広がっていくんじゃないか、というような気がしている。
公開日: 2013年01月13日(Sun)