考察: 日本の少子化問題について考える2014:少子化は問題か?

ひさーーーーしぶりに、社会問題に関するエントリです。今回は日本の少子化問題について考えます。

"少子化問題" という社会問題がだいぶ前から問題になってます。出生率が低下して、人口がどんどん減っていくという問題です。多くの先進国でも同じように問題になっている、あるいは、なっていたようです。

この問題について、頭のよい学者さんや偉い人たちがいろいろ対策を考えているみたいですが、その方向性に、なんかどうも腹落ちしないというか、引っかかる何かを感じます。今回はこの引っ掛かりポイントがなんなのか整理しながら、自分なりの考えをまとめてみたいと思います。

"少子化" とは何か

まず、少子化とはそもそもどういうことを言うのでしょうか。

人口は、1人の女性が一生の間に産む子どもの数が、2.07人を上回ると自然増、下回ると自然減するとされているそうです。この、1人の女性が一生の間に産む子どもの数を合計特殊出生率、2.07という値は人口置換水準※1と呼ばれています。この合計特殊出生率が人口置換水準を下回っている状態が少子化です。

そして、Google先生によれば、2011年の日本の出生率は 1.39 とのこと。2.07をだいぶ下回っていますね。

少子化の何が問題なのか

少子化とは人口が減っていくことです。ということは、相対的に若い世代よりもお年寄り世代の方が人数が多くなるということです。少子高齢化とも呼ばれます。

誰しも歳をとれば、若い頃よりも生産性が落ちてきます。多くの高齢者は働くことをやめて、年金や社会保障制度に頼って生活するようになります。この、年金や社会保障制度を維持するための資金は、同じ時代の若い世代の払った年金保険料や税金で賄われています。高齢者が若い頃に支払ったお金が貯金されてるというわけではないんですね。

としたときに、支える側の若い世代よりも、支えられる側の高齢者世代のほうが人数が多ければ、若い人1人当たりの負担が大きくなります。つまり、税や保険料がどんどん高くなってしまうわけです。

そもそも、そんなに高い税金を払えない人もいるかもしれないし、税が高過ぎれば、優秀な人材がより税の安い国へ流れて行くのではないかというような懸念もあるみたいです。

つまり少子化は、社会基盤の仕組みや経済的なことに関する問題として捉えられています。

なぜ出生率は上がらないのか

さて、ここからが問題です。

出生率が上がらない原因は何か? この分析結果が的確に出せれば、ズバリ解決策に直結しそうなだけに、とても重要なポイントです。

通説では、経済的な問題や、社会風土や文化的な問題と関連づけて考えられることが多いように思います。

例えば、普通の世帯の収入では子どもを育てるのは大変だからとか、女性の出産後の社会復帰を受け入れられる風土がないとか、古い日本的な家庭の男性と女性の役割分担の社会通念が女性の社会復帰の機会を奪っているとか、そういうことが、しばしば少子化の問題と関連付けて指摘されます。

こうした原因についての認識から、出産一時金や、育児手当や、産休・育休の制度充実、男性の育児参加を奨励するイクメンのようなキャンペーンなど、出産や子育てを支援する取り組みが、少子化対策として展開されているのでしょう。

こうした取り組みそのものは素敵だと思います。しかし、それはそれ。それで本当に出生率は上がるのでしょうか。それによって、ベビーブームがくるのでしょうか。わたしにはどうもそうは思えないんですよね。

そうした理由で出産を躊躇している人もいるかも知れません。だとしたら、多少は改善する可能性もあるでしょう。1.39が、1.5くらいにはなるのかも知れません。でも、それくらいじゃないでしょうか、勘ですが。それでは、少子化であることに違いはないです。2.07を超えなければ、少子化は止まらないのです。

では、どこが違うのでしょうか。

もっとうんと生理的なところに理由があるのではないか?

社会や経済の問題として考えている人はいっぱいいるので、ここではいったん切り離して、別の角度から考えてみます。

少子化は、言いかえれば、個体数制御、すなわち繁殖に関する問題ともいえます。出産も育児も、今のような複雑な社会制度ができるずーーーーっと昔からやってきたことです。人間も動物ですから、動物たちにみられる繁殖のモデルをそのまま適用できるかもしれません。

個体間距離

動物はそれぞれ種によって、個体と個体の間のちょうど良い距離というのを持っています。例えば数匹の犬が同じ部屋で寝るときには、ピッタリくっついて寝ません。一匹分くらいの距離をあけて寝るそうです。互いに近づきすぎた状態を好まないのです。 遠すぎてもダメです。そもそも群れることで天敵から身を守ったり、競争力を高めるために集団で行動するわけですから、あまり個体間の距離が遠すぎては群れるメリットが薄くなります。

個体間距離が近すぎるとどうなるのでしょう。狭い空間に、定員以上の個体を入れて閉じ込めると、すごいストレスがかかります。動物でもストレスに耐えられず、おかしな行動をする個体がでてくるそうです。個体が多すぎて、自分のスペースが確保できないことによるストレスですから、イライラして、攻撃的になったり、別の個体をテリトリーから追い出そうとしたり、あるいは共食いや殺そうとすることもあるでしょう。

個体数が多すぎるストレスですから、繁殖行動も減るのではないでしょうか。

さて、この個体間距離にまつわる性質を人間に当てはめてみます。個体間の距離が決まっているいうことは、一定面積の中に生活できる個体数が決まっているということです。人間の社会の言葉でいえば、それは人口密度。一定の面積のなかに住める人数には上限があるということになります。人口密度が高すぎるほど繁殖行動は抑制されます。つまり、少子化の原因の1つであると考えられないでしょうか。

このことが出生率と関係しているのだとしたら、おそらく、人口密度の高い都心よりも、地方の方が出生率は高くなるはずです。このような傾向は、厚生労働省:平成15年~平成19年 人口動態保健所・市区町村別統計の概況 のデータから読み取れそうです。

テストステロン分泌量による繁殖調整メカニズム

テストステロンは、男性ホルモンの一種です。筋肉増大、骨格(特に肩幅、胸郭)の発達 といった、オスがオスらしくあるように作用します。テストステロンの作用とはたらき (大東製薬工業株式会社) によれば 性欲・性衝動の亢進 の作用もあるそうです。

一般論として、テストステロンがたくさん分泌している男性の方がモテる、つまり繁殖力が強いオスといえるでしょう。

さて、このテストステロンの分泌について、こんな実験があります。

筋力トレーニングや不安定な興奮(例えば闘争や浮気など)によってテストステロンの分泌が促される。イリノイ州ノックス大学の心理学者、ティム・カッサーの研究では大学の学生らに15分間銃を扱わせたところ唾液から普段の100倍近いテストステロン値を記録したという。この事から危険物、あるいは危険な行為が更なる分泌を促すと言える。 (Wikipediaより)

実弾の込められた拳銃という危険な物を握り、実際に発砲したわけですから、命の危険と言えるレベルのプレッシャーやストレスが加わっていたと考えられます。そういう状態のときに、テストステロンは多量に分泌されるのです。

テストステロンがたくさん分泌されれば、より男性らしい状態になります。より繁殖力が高く、女性にモテます。つまり、いつも命の危険にさらされているような、アブナイ男性が多いときの方が、社会全体として繁殖力が高くなるといえそうです。

それを踏まえて昨今の日本を見渡すとどうでしょうか。平和です。大変平和です。過去の歴史を考えれば、現代の日本は破格に安定しています。医療技術も発展して、多くの不治の病は治る病になりました。平均寿命もどんどん伸びています。とても安全です。命を脅かされるような脅威は滅多にありません。

そうすると、テストステロンを分泌しまくっている男性は、例えば戦時中と比較したら圧倒的に少ないはずです。オスらしいオスが少ない状態です。草食男子が増えたり、オネェな男性が支持を集めるのも、平和の証なのです。

当然、繁殖力が低い状態なので、必然的に出生率は下がることにつながるのではないかと思います。

このことが出生率と関係しているとすると、死亡率が低く平和な先進国よりも、経済や医療技術の水準が低く病気などで死亡するリスクが高い国や、戦争や内乱が起きているような情勢が不安定な国の方が出生率が高くなるはずです。 国の合計特殊出生率順リスト(Wikipedia) から、そのような傾向は読み取れないでしょうか? ちなみに、日本の団塊の世代が生まれたのも、ちょうど第二次世界大戦の直後にあたります。

またこの法則は、前述の 個体間距離が近すぎると攻撃的になる 問題と矛盾するようにも思えます。この点については、アンリアルな攻撃性:ゲームと男性ホルモンの研究 « WIRED.jp にある、内集団との対戦でチームメートと戦うときには、全プレイヤーのテストステロン値が下がる という性質に当たるとしたら、矛盾はなくなりそうです。

捕食者と被捕食者の個体数調整

捕食者と被捕食者の個体数のバランスは、自然と維持される、と、昔、小学校の理科の時間に習った記憶があります。

当時、授業ではそのメカニズムまでは教わらなかったと思いますが、いまさらながら改めて、この問題について考えてみたいと思います。

  • 天敵に当たる捕食者が増加すれば、よりたくさんの個体が捕食され、被捕食者の個体数は減少します。
  • すると捕食者は、十分な食料を確保できなくなり減少します。
  • 同時に、危険にさらされた被捕食者はテストステロンが多量分泌して繁殖力を増し、個体数を増やそうとします。はじめは子供なので、巣の奥に隠れているなどで守られるので、捕食者の空腹は満たされませんので、しばらくの間、捕食者の個体数増には寄与しません。
  • 捕食者が飢えて個体数が減っている間に、被捕食者の子供は成長し大人になります。
  • すると個体数のバランスは逆転し、被捕食者の数が多すぎる状態になります。捕食者にとっては食料に事欠かない豊かな時代です。飢える者も少なくなり、子育てもし易い環境で、個体数は回復するでしょう。一方被捕食者は、個体数が多すぎるので、個体間距離のメカニズムから繁殖力は抑制されますから、それ以上個体数がどんどん増えて行くということはありません。
  • そしてまたしばらくすると、増えた捕食者に捕食され、被捕食者は数を減らします。以降、繰り返し。

このようなメカニズムで、個体数のバランスは概ね維持されているのではないかと思います。

さて人間の世界です。世界的には、人口は増加傾向です。人口が増加し、居住地の面積が増え、農地が減ることで、将来の世界人口を支えるだけの食料を維持できなくなる可能性が危惧されています。

そして、人間にはそれらしい天敵がいなくなりました。重い伝染病の原因となるような菌やウイルスを天敵と捉えることもできますが、それでも医療技術の発展により、命を落とすほどの脅威はかなり減っています。

つまり、日本など、安全な先進国の人間は、個体数を減らすべきフェーズにいるのではないか、と考えられないでしょうか。

このことが出生率と関係しているとすれば、人口は減り過ぎたと生理的に感じられたときに、自動的に増加に転じるはずです。

出生率を無理やり上げようとしてはいけないのでは?

もしも、このような生理的なことが原因で出生率が低下しているのであれば、どんな経済的な対策を講じたところで、出生率は十分に上がらないでしょう。

というかそもそも、本当に出生率を上げなくてはならないのでしょうか。人口は増加し続けなければならないのでしょうか。いま、人口を減らすべきときだと、人間は本能的に理解し、そのように行動しているということならば、まず人口を増やしてはならない、というか、人口の増減を人為的に操作してはならない、という前提に立つべきではないかと思います。

話の根本に戻れば、社会問題としての少子化は、社会保障制度と経済の問題でした。この問題について、現在の社会保障の仕組みを支えるために個体数を増やそうとするのではなく、個体数が減っても成立する社会制度を考えなおす方に時間を使った方が、有意義ではないかと思うわけです。

子育て支援政策で出生率が上がる論への反論

冒頭で触れた、子育て支援や社会保障を厚くする政策で出生率を上げようという意見に、少し反論もしてみたいと思います。

ちなみに、誤解なきように先に付け加えると、子育て支援や社会保障を厚くすることに反対ではないです。すごく賛成です。そして、子育て支援政策がまったく関係ない、とも思っていません。出生率回復にある程度は貢献すると思いますが、V字回復するほどの影響はない、というくらいに考えています。

逆のパターンを考えてみてください。

社会保障なんて全くなくて、それどころか医療サービスが受けられるインフラもなく、家の外にはゾンビの群れ(!?)が徘徊するような、すごくデンジャラスな状況にいるとします。そしうしたら、出産は控えようと思いますか?

頭で想像して、冷静に、理性的によく考えたら、やはり出産は控えようと結論するかもしれません。しかし本能は、おそらく逆の結論を出すでしょう。

家の周りには天敵だらけの超危険な状況です。放っておいたら、仲間はどんどん捕食され、減っていきます。ここで個体数を増やさなければ、人類は一瞬で絶滅してしまいます。

一般的に、食う者と食われる者では、後者の方がたくさんの子供を産みます。食う者は食われる者よりも、一生のうちに消費する命の数が多いので、そうでないとバランスを維持できません。

ウミガメは、一度の産卵期に400〜500個の卵を産むそうです。しかし、そのうちのほとんどは、卵のうちにカニやイタチに食べられたり、孵化しても海に着く前に海鳥に食べられたりして命を落としてしまいます。20年後、無事に大人になって、産卵に戻ってくる親亀は、全体の0.5%ほどしかいないそうです。

一方、ライオンのメスは、一度の出産で2〜3頭ほどしか子供を産みません。捕食者と被捕食者では、出生率にこれくらいの差があるのです。

ゾンビの例えは極端すぎますが(汗)、人類の歴史を思えば、同じくらい生命のリスクにさらされた時代を幾度も乗り越えてきたはずです。安全ではないから、保証がないから出産をしないと、そのような選択をしなかったからこそ、今日の人類の繁栄があると言っても、言い過ぎではないでしょう。

もし仮に、出生率がすごく上がったらどうなるか?

もしも、子育て支援制度や経済的な政策が功を奏して、出生率が上昇し、人口が増加に転じたらどうなるでしょうか。

まず、食料と居住地の問題が深刻化するかもしれません。人口過密で、さすがに地方に人口を分散しなければならなくなります。そのためには、森林や農地などの比居住地区を切り拓いて住宅を作らなければならなくなります。農地が減れば、自給率低下の問題が深刻化するかもしれません。そうでなければ、月へ移住するしかありません。

それから、医療技術が発展して、寿命は長くなり、死亡率は下がっていくと考えると、若手は増えても高齢者は減ってないかもしれません。

増加した子どもたちが大人になるころには、ロボット工学などITの分野は、現在よりも格段に発展しているはずです。産業革命以来、技術の発展は人間の仕事を奪い続けてきました。いま生まれた子どもたちが大人になるころ、彼らにどんな仕事が残されているでしょうか。人口は増加に転じた仮定の話なので、労働可能な人口は増えている想定です。しかし、仕事は減っています。彼らは、寿命が伸びたために増え続ける高齢者を支えられるほどの生産性をあげることができるでしょうか。もしも、ニートのような仕事をしない働き盛りが増えたなら、本末転倒です。

単に人口を増やしすことが本当に解決になるのか、もう一度よく考えた方が良さそうじゃないですか?

フランスの出生率はなぜ高いのか?

海外の先進国の先輩は、日本より先に少子化の問題を体験し、社会保証制度の施策で出生率を回復した実績があるそうです。例えばフランスの出生率は 1994年には 1.65まで落ち込み、その後 2011年には 2.03 まで回復しているそうです。

なぜフランスは出生率が回復したのか? というと、ちょっと正直わかりません(汗)

こちらのページ フランス番長 検証!なぜフランスでは出生率が上がったか? で、さざまざま仮説について検討していますが、やはりこれだという決定打はなさそうな雰囲気です。

ので、ここでは先に書いた出生率低下の原因を鑑みて、仮説を挙げてみるにとどめようと思います。

  • 出生率の低い日本やドイツと比較して、人口密度の偏りが少ない(参考:フランス人口密度分布ドイツ人口密度分布日本の人口密度分布)。極端な人口過密がテストステロン値を下げる原因となるなら、密集してる分 テストステロン値の低い人口が割合的に多くなるはず。
  • 日本と比較して、人口の年齢分布が安定していて(参考)、高齢者が少ない。
  • たまたま、ちょうど人口が減り過ぎた頃から回復傾向に転じた。

まとめ

ということで、少子化に関する考察についてまとめてみます。

  • 少子化の問題は、社会基盤の仕組みや経済の問題として扱われるが、実際は生物的な現象である。
  • 少子化の原因は、人口過密と、テストステロン値低下にあるのではないか。
  • つまり、人口減少は自然な現象であるため、人為的にコントロールすべきことではない。減り過ぎたと感じられたら、勝手に増えるから心配ない。
  • よって、人口を増やす努力より、人口が増えなくても良くなる方法を見つける努力をするべき。

要するに、問題は少子化(人口が減っていること)ではなく、人間が作った社会の仕組みの方にあるのではないか、ということです。人口が減少しても成立するような制度を設計しなおす必要があるのではないでしょうか。

具体的にどのような制度設計なら解決できるのかというと、それについては、また別の機会に考えてみたいと思います。

参考にしたサイト

脚注

※1
人口置換水準は死亡率などの影響で値が変わるので一定ではないですが、2010年時点の日本の人口置換水準は 2.07 とされているそうです。

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