【社会科】長崎原爆資料館の見学に行ってきた。小5女子は何を受け取ったか?

先日、シルバーウィークと次の週末をつなげた9日間を利用し、西日本をクルマで九州最南端まで行くという旅をしてきました。小学校5年生の娘を連れた2人旅です。

この途中、広島長崎の平和公園を、長崎では原爆資料館も見学してきました。

資料館にならぶ原爆投下後の焼け野原を記録した写真。大人の私は、戦争は悲惨なことであり二度と繰り返してはならない、などと改めて確認するわけですが、小5女子はややグロッキーな様子。彼女はそこから、何を受け取ったでしょう。

もしかして、小5女子には刺激が強すぎたでしょうか?

それもそのはずだと。よくよく考えてみれば、資料館にならんだ写真は、猟奇殺人事件の惨殺死体さながら。小5女子所有のキッズスマホでは制限がかかって閲覧できないようにされる「有害コンテンツ」と判断されても不思議はない内容です。

もし、数千度の熱線で焼かれた遺体が、戦争のない現代の東京都内で見つかったとしたら・・・1人見つかっただけでもとんでもない大事件です。放火も、刑法上は 死刑又は無期若しくは5年以上の懲役 という重罪です。原爆投下は、一瞬でン万人を焼き殺し、街1つを火の海にしました。

資料館を見学し、原爆被害の写真を見た大人の私は、悲惨なことだ、二度と起こしてはならない、とは理解するものの、はたして猟奇殺人事件のン万倍、放火事件のン万倍に相当するほどの重大さで受け止められていただろうか? 「戦争」というラベルのもとに、人の命を普段よりも軽く見積もっていたのではないか? 小5女子のグロッキーな反応から、そのことに気づかされるわけです。

ちょうどこの旅に出ようという頃、国会では平和安全法制関連の法案2つが成立しました。国会は荒れ、世論も割れ、賛否両論大騒ぎしましたが、ただ1点、「戦争を避けたい」という目的については、賛成派も反対派も共有できていたのではないかと思います。

要するに、本来の論点は、違憲かどうかとか、適用範囲の問題以前に、「戦えるようにすることが戦争回避に繋がるか? それとも、戦えないようにすることが戦争回避に繋がるか?」という、手段の有効性の問題だったのではないかと思います。

そうしたときに、広島や長崎の記録が伝えるべきことは何でしょうか?

戦争の悲惨さ、繰り返してはならないということは、実はもう十分に理解が進んでいるのではないか。あるいは、これを理解するために、原爆の記録を紐解かなくても、中東など紛争地域に目を向ければ、現在進行形の生きた資料で十分な理解が得られるはず。

ならば、開戦後、被爆後の惨状を伝えることも重要ではありますが、

  • なぜ戦争に至ったか?
  • どのようにして文民統制は失われたか?
  • 原爆はなぜ落とされたのか?

などといった、開戦前の背景を伝えていく必要があるのではないかと。しかし、ここにフォーカスしたコンテンツを目にする機会はなかなか多くはありません。

はたして今回の見学で、グロッキーになった小5女子は何を受け取ったことでしょう。

戦争の悲惨さや暴力性を強調しすぎたことが、かえって重要な問題から目をそらせさせることに繋がってはいないだろうかと、おそるおそる様子をうかがっている次第です。


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コヤナギ トモヤ

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