「工事中」ページに、価値はあるか

作りかけのウェブページに、「工事中」とか、「Under Construction」などという文言を掲げて、内容がないにもかかわらずインターネット上に公開されていることがある。一部で、これが「無意味だ」とか「ちゃんと作れよ」といって、ネット上の邪魔者扱いする声がある。

ウェブページに掲載される情報は、人から人へ向けたメッセージである。この定義に立つと、厳密に無意味と断ずることができるのは、「何も伝えていない」メッセージしかないと思う。工事中ページは、自分のサイトまたはページ、あるいはコンテンツそのものが「工事中(作成中)である」ということを伝えている。私は、そこに意味と価値を認めたい。

例えば、ユーザは何かしらの製品や会社を、何かしらのルートから知ったときに、そのウェブサイトを探す。サイトの作り手は、公式にそのウェブサイトを公開できればベストだが、予算や時間の関係で難しいこともあるだろう。だからといってサイトを公開しなければ、ユーザは見つけることができない。見つけることができないと、力尽きるまで探し続けることになり、それでも納得できる結果には行き着かないだろう。完成されたサイトが用意できなかったとしても、工事中だったとしても、「作成中である」ということをユーザに伝えれば、満足はしないかもしれないが、納得できる。その意味で、この「工事中サイト」は、ユーザにちゃんとメリットを提供している姿勢だととれると思うのだ。

ただし、全ての「工事中」に意味があるとは言い切れない。情報の種類によって、工事中は無意味になる。例えばSNSやブログや日記コンテンツで工事中を表示することには全く意味を感じない。そこには「毎日更新しなきゃいけない」などの義務感こそ表現されるが、ユーザに対して何も提供していない。

「工事中である」というメッセージの価値。その情報、メッセージが、ユーザに何を与えるか。「工事中」に限らず、公開する(伝える)前に、その価値を改めて評価しなおし、都度確認することが必要なのではないだろうか。


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コヤナギ トモヤ

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