公開日: 2007年12月07日(Fri)
100%再生紙は環境に悪いかどうなのかという記事を過去に書いたが、ネット上でいろいろ探してみると、いろんな見方があって、実際はどうなのかちょっとわかんない。森林伐採の量とかCO2の排出量とか黒液とか、紙の消費量と森林が育つスピードの比較とか、そんな途方もない計算を始めても、頭がぐちゃぐちゃになってしまうだけなので、試しに見方を変えてみようと思う。
紙を使うことは環境に悪い。
仮に、そう考えてみる。もちろん、新しい紙でも、100%再生紙でも、そもそも紙はイケませんという意味で。つまり、ペーパーレスをもう一度考え直してみようという試み。
PDFやらHTMLやらといった、紙に取って代わりそうなデジタル技術が登場したりというのもあって、昔からペーパーレス社会がやってくると期待はされていたものの、どうやらなかなかやってこなさそうだという雰囲気が出てきていると感じている。私などはもう永遠にやってこないと諦めていた。
なぜ、ペーパーレスは実現できなそうに見えているのか。おそらく、今のデジタル技術は、我々が『紙』に求めていた要件を、まだまだ満たせていないからだ。では、その「未だ満たされない要件」とは、具体的にどういうものなのか考えてみる。それが明らかになれば、つまり、「それらの要件を全て満たせば、ペーパーレス社会は実現する」ということに結び付けられるだろう。
現実的なところで、すでに近しいところまで来ていそうな製品がある。
というわけで、惜しいところまで来てはいるところの、その惜しい所以たる要件を挙げてみよう。
ペンで書き込みができること。
いま、紙を卒業できない理由のひとつが、赤入れ。自分や他の誰かが作った文書を確認する作業。間違いやダメな箇所を見つけたときに、すぐに書き込みたいのだが、マウスやキーボードではその即時性には追いつけない。
紙の良さとして、どんだけぐちゃぐちゃに書き込みしても、オリジナルのファイルに影響しないという安心感がある。だから、書き込みはビュワー上で行われ、オリジナルファイルとは別領域で管理されていないとまずい。
もちろん赤入れしたら、作者と共有しないと意味がない。
iPod touchのインターフェイスは、すでに近しい操作を実現している。
重要なページにペタペタ付箋を貼り付けたい。ちなみに、付箋の貼り方には、人それぞれ流儀がある。これ、吸収してほしい。
読んだ本の内容は、本棚の背表紙からフラッシュバックされたりする。この効果は、関連付いたアプリケーションのアイコンと、無表情なテキストのファイル名とからなる、PCのファイルの本棚にはない価値である。
オフィスのスタンダードになっているであろうA4サイズは、書くにも読むにも慣れている。大きすぎてもダメだし、小さすぎれば書き込みしづらく、上手くない。
A4だとポータブルというにはちとデカい。持ち運ぶは重要な要素なので、何とか折り合いつけないといけない。
ネットワーク通信機能はあってもいいが、地下鉄で使えないのはつらいので、あくまで単体の環境下で作業を完結できたい。
すぐに電源が切れて読めなくなってはダメだ。がんがん使い倒しても24時間とか持続できたらうれしい。
すでに多くを求めすぎな感があるPCの機能と一緒くたにする事を目指せば、ぐちゃぐちゃになって使いにくく、非直感的なものになるだろう。最終的に一緒くたにできるというならウェルカムだが、取り急ぎは別物として考えを進めた方がシンプルだし、紙の使用感に近い。ただし、価格はキモになる。
私は印刷した紙を読んでいると、知らず知らずのうちにその紙をはじっこからふしゃふしゃにしてしまう癖がある。この機能、ぜひ実現してほしい。あと、よく参照するファイルはどんどんぼろぼろになっていく機能とか。
これらの条件がすべて満たせるなら、私はペーパーレスできそうな気がしてる。みなさんはどうでしょうか。
本当なら、A4サイズ1枚の紙に文字や絵が浮かび上がってきて、右から左へこすると次のページの絵が浮かび上がり、閉じるボタンに触れると本が閉じられる。ふつうの赤ペンでふつうに書き込みができるのだけど、閉じたら一緒に消える。もちろん4つ折りや8つ折りにして小さく持ち運べる。そんなのが欲しいけれども、それはまだ先。ドラえもんが開発されるころまでには、できてるといいな。
最後に、現在理想のペーパーレスに接近していると思われる惜しいモノ達を挙げたい。
などなど。
ペーパーレス社会とのハザマの続き。今回は対策のために、1つアイデアを考えてみた。
注目したのは、オフィスでよくやる「Eメールの印刷」。
長いメールや企画書などの電子文書を受け取ったとき、画面で見るのは苦痛だ。デジタル文書は検索性や視認性も高そうに思えるが、...
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公開日: 2007年12月07日(Fri)