ホントの仕事のオモシロさを知れ

そこに便器がある。見ず知らずの不特定多数の人間が糞や尿をタレる汚い器だ。あなたはこの便器を掃除する仕事をしている。別にやりたくてやっている仕事じゃないし、おもしろくもない。つまり、この仕事が嫌いである。

では、どんな仕事なら好きになれるだろうか。好きになれる仕事が、他にあるのか。

もし、他にやりたい仕事があるなら、付け加えれば、その仕事なら楽しめるとするなら、今あなたは便器を洗う仕事はしていないだろう。だけど、それでもこの仕事をしているのは、他のやりたい仕事を修得するだけの努力をするほどまでには、その仕事をやりたいと思ってはいないからだ。

やりたいと思った仕事でも、そう易々とこなせるものではない。どんな業界でどんな仕事を選んでも、それなりに苦しい思いはするし、つらい。誰でもそうである。必ずそうである。

つまり、いまあなたが便器を洗う職に就いているのは、それがたまたま便器を洗う仕事だったというだけのことである。それが他のどんな仕事だったとしても同じことだから、苦しくて、つらくて、満たされないことに違いはないから、たまたま就いた便器を洗う仕事でもよかった。その時点では、何でも同じだったのだ。

ところが一方では、不思議なことに、おもしろい仕事をして、充実した毎日を送る人たちがいる。彼らは自分の仕事を愛していて、決して安定した生活とは言えない状況下にあっても、概して生き生きとして幸せそうだ。時々は、仕事が楽しすぎて、貴重な私生活を疎にし過ぎ、家庭を崩壊させてしまう者がいるくらいだが、それでも何故か幸せそうに見える。あなたは何をしてても満たされないでいるというのに。

この違いは何だ。それはおそらく、あなたは「便器を洗う仕事の本当のおもしろさ」を、まだ知らないからだ。

例えば私は、ウェブサイト制作の現場に携わっているが、自分のこの仕事が好きだ。それは、最初から好きだったわけではない。といえば語弊もあるかも知れないが、本当は別の仕事がしたかった。いつから好きになったのかと言えば、自分の仕事で喜んでくれる人の顔を初めて見たときからだ。

誰しもそうだが、最初から仕事が上手くできるわけはない。何も知らなかったし、何もできなかった。たくさん失敗して、たくさん怒られて、たくさん失望された。でも、それでも一生懸命だった。一生懸命やったのに、その結果にがっかりされるのが最高に悔しかった。だから、がっかりされないように、また必死になった。試行錯誤して、いろんな本を読んで、先輩の話も聞いて、何度もトライした。それを繰り返した。私の20代前半は、ほとんどそんなぐちゃぐちゃのうちに終わってしまった。

そうするうちに、自分の仕事は、まず、同じプロジェクトの仲間達を喜ばせられるようになった。そして次にクライアントが喜んでくれた。それから、ウェブサイトを使ってくれるユーザが喜んでくれたことが、匿名のアクセスログからではあるけれども、読みとれた。

この、喜んだ顔を見ることこそが喜びとなった。その顔を見ることが、この仕事の本当の面白さであることを知った。

誰かの喜んだ顔は、ウェブサイトを作る仕事だったから見れたわけではない。あるいは、モノを作ったり、提案したりする仕事でなければ見られないということでもない。人はいろんなところで喜んでいる。人の社会に属する仕事なら、どこにいてもその顔を見るチャンスはある。そう、もちろん便所でも。

美しいトイレは気持ちがいい。トイレがきれいであることは、ユーザがお店を選ぶポイントのひとつになっている。例えば、近頃は女性もパチンコ屋さんに行く人が増えているそうだが、女性客に多く来て欲しいパチンコ店は、店のたたずまいをきれいに改装して、美しいトイレを完備した。

男達にとってはただの便所かも知れないが、女性にとってそれは、単に用を足す場所ではない。化粧室である。女が最も美しく女であり続けるために必要な空間、それが快適な空間であるかどうかは、彼女たちにとって大変重要な問題なのだ。

化粧室が美しければ、女性客は安心して店を訪れることができる。「ありがとう」とかと直接感謝の言葉をかけられる機会こそほとんどないだろうが、もしも客足が増えたとするならば、あるいは、単にトイレを借りにくるだけの人が増えたなら、さらには化粧室での雑談に花が咲くようであれば、それがユーザの喜びの表現に他ならない。

そのときに、あなたは、便器を洗う仕事の、本当の面白さを知ることになる。

鏡を磨き、便器を洗うのが楽しくなるはずだ。もっとユーザに喜んでもらいたい。だから、壁やドアの塗装が剥げていれば塗りたくもなるし、トイレットペーパーが三角形に折られていないことが気になって仕方ない。たとえそれが、あなたの担った仕事の範疇を越えていても、契約書に明記されていなくても、そんなことはもはや形式上の小さな問題でしかない。とにかく、最高に快い化粧室を実現し、最高の状態を可能な限り維持すること。それだけがあなたのプライオリティとなる。

ただし、その面白さを知るに至る道は険しい。誰もが快適に使える、美しい化粧室を維持するのには、大変な努力を要する。しかし、その先に見え隠れするユーザの喜ぶ顔を見るために、鏡を磨き、便器も洗い、なめても平気と思えるくらいまで一生懸命仕事をすれば、それは必ず実現可能となるのである。

一番大事なのは、「一生懸命である」ということだと思う。これが仕事を楽しむ一番大きな秘訣だ。一生懸命やらずにできた仕事がいい評価を受けたとしても、さほどうれしいもんじゃない。一生懸命やればこそ、その仕事を愛せるようになるし、その仕事を深く知るだろうし、だからこそ、いい評価を受けた喜びは絶大なのだ。

しかも、仕事の面白さを知るまでのつらさや苦しさも、「一生懸命」は紛らせてくれる。一生懸命に取り組めば、新しい発見や技術の修得が起こりやすい。「知る」とか「覚える」は、それだけで人を満足させる力がある。

私は、もともと何かモノを作る作業が好きだった。それは確かにそうだし、この仕事を続けてこれた要因のひとつかも知れない。しかし、その「好き」にしたって、それは、単に粘土を盛ったり、絵の具を塗ることだけで得られる快感ではない。一生懸命やるからこそ、自分の作品に対する愛情も生まれ、そして得られる「好き」なのだ。

いま、あなたの手に委ねられた便所掃除という役割を、つまらない仕事にしてしまわないで欲しい。あなたがその仕事を放棄してしまったら、困る人がたくさんいる。あなたのトイレを使うユーザは、シャイなのかも知れない。だから、その喜びのメッセージは、明確に伝わりにくいかも知れない。

だけど気付いて欲しい。彼らの喜びは、必ず何かの形で表現されている。そして、その喜びのメッセージから、あなたの中に新しい喜びが芽生えるなら、日本は、細部までメンテナンスが行き届いた最高の美しいトイレが至る所に設置された、世界に誇るべき素晴らしい国になるだろう。

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