二番煎じを恐れるなかれ

クリエイタを自称する人の多くは、何かを創り出そうとするとき、真似るとか、パクるとか、つまり、模倣とか二番煎じを避けようとした経験をお持ちではないか。「オリジナルじゃないじゃん」とか言って。

しかし、単に頑なに模倣を避けるだけでは、ただナンセンスだ。

そもそも、自分自身を見たときに、完全なオリジナルでなんかない。まず、生まれた時点で、すでに肉体のアーキテクチャを父と母から継承している。その後、言葉や仕草、倫理、道徳などなどを父や母からコピーする。少なくても、コピーしようと努力はしたはずだ。つまり、人格そのものの大部分は既製品じゃないか。「人類皆兄弟」というが、過去に偉大なる作品を残した偉大なる芸術家も、系譜を大昔までたどりつめれば、いずれ自分自身の系譜と交わる。人類はみんなどこかでオリジナルを共有していることになる。

もしも、それでも、何も模倣せず、継承せず、完全な無から何かを創り出そうというのであれば、少なくてもビッグバンまでは遡らなければならない。

それであれば、オリジナリティとは、「人や物事が、従来よりも少しだけ前進するために加えた、独創的な変更のこと」だと、それくらいに考えてはどうだろう。過去に存在した物事の、よい点を保存し、問題点を解決するアイデア。これを考え出したなら、その点をオリジナリティとして評価すればいい。ただ、ほんのそれだけの、小さな領域でいい。その営み、それこそが、真に待ち望まれている進化そのものではないか。より多くの人を幸せにできる発明ではないか。

さもなければ、模倣しようと努力しても上手くできずに、もしくは何かしらの事故がきっかけとなって、突然変異的に偶然得られた別の結果が、そのオリジナルよりも優れていたということもあるかも知れない。

もし、よい点ばかりで問題点のまったくない、完成された既製品があるならば、そこにはもうオリジナリティなんて必要ない。その時点で、進化も変化もやめていいのだ。それは、その形でいることで、すでに十分に責任を果たしているということだから。

そんな風になったら、今度はコピーし続けることが、むしろ重要になる。完成された完全な既製品を、完璧に複製し、後の世に残し続ける営み。コピーするのをやめてしまえば、せっかく完成された既製品が、その意味や工程が、徐々に失われていくことになってしまうからだ。


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コヤナギ トモヤ

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