Re: 「ゲーマーの後悔」は終わらない

WIRED VISIONの記事「ゲーマーの後悔」は終わらないから。

1日に4時間もゲームをしてすごすことは、最近はめっきりなくなったが、子供の頃は結構あった。1日4時間以上していたこともあったかも知れない。長時間ゲームをしたということに気づくのは、たいていそのタイトルをプレイし始めてから数日たった後のことで、上記記事の筆者のように、大きく後悔した経験も数多ある。

ただ、一様に必ず後悔してきたとは思わない。後悔したゲームと、後悔しなかったゲームがあって、ジャンルとか、内容とかによって違う。同じジャンルでも、ドラクエはどんなにやっても後悔しなかったけど、FINAL FANTASYはほぼ必ず後悔した。

そもそも、ゲームという言葉自体が、ゲーム=試合という単純な意味ではなくなっている気がする。私が子供の頃にやったゲームといえば、スーパーマリオとか、グラディウス、ゼビウスなど、シューティングゲームとかアクションゲームが多かった。そのうち、三國志とか、ドラクエとか、キング・オブ・キングスとかといった、ロールプレイングゲームやシミュレーションゲームをやるようになった。現在でゲームというと、パズルもゲームだし、えいご漬けとか脳トレ系とか、幅が広がっている。大人のDS顔トレーニングDSお料理ナビなどは、もう私の感覚ではゲームとは言えない部類だけど、ゲーム機でプレイする。

1日4時間という時間が、長いのか短いのか、充実していたのか空しかったのかは、ゲーム機の世界の中でのすごし方によって変わるのだと思う。例えば、ゲームを通じて、(実際に)成長した実感を得られるとか、新しい情報、発見を得たとか、そういう体験をしていれば、空しさは感じない。ゲームに限らず、マンガとかテレビのバラエティ番組でも同じことだ。

昔、お父さんとやった将棋もゲームだ。将棋は、戦に興味を持たない将軍だか君主だかに、戦の定石を教えるために開発されたと聞いた。当時のゲームは仕事に役に立つものだった。私は、コーエーの三國志にはまった結果、普段ほとんど活字を読まないくせに三國志演義を読破し、孫子の兵法に出会うに至った。Wii Sports は、職業柄屋内に篭り、終始座った姿勢でモニターと向き合う傾向にある私に貴重な運動を課してくれている。

これらの「ゲーム」には多大な時間を費やしてきたが、後悔はしていない。実際の世界で生活する、あるいは仕事をする上で、役に立つ技術や知識を養うツールとして、立派に機能したと感じているからだ。

1日に費やす4時間を、無駄な時間と感じたならば、それは役に立っていない、あるいは、プレイヤー自身が役に立てられなかったからだ。無駄な時間をすごせば空しい。空しくならないように、その時間から如何に多くを学び取るか、そして、多くを学べるタイトルを選択できるか。

「空しかった」と気がついて悲観的になり、「空しい」ことに正当性を与えんと努めるよりも、「空しい」ことは正直に否定して、空しくない時間をゲームに求めたいものだ。

ちなみに、話はズレるが、私は職業柄、いわゆるクソゲーに時間を割くことを「空しい」とは思っていない。ウェブサイトを通したユーザ体験、ユーザインターフェイス等の研究題材として、「ゲーム」は大変参考になる。しかも、バッドケースを知ることは手っ取り早い(と考えている)からだ。このクソゲーは、なぜクソゲーなのか。つまらないゲームを、どのように改造したら面白くできるだろうか。といったテーマで、脳内で勝手に空想を広げる作業は実に楽しいし、事実、仕事にも役に立っている。

だから、せっかくだから、私が小さい頃からゲームを作ってきてくださったゲーム業界の皆様に、この場を借りて心より御礼申し上げたい。これから先もがんばってください。


プロフィール

コヤナギ トモヤ

ウェブ系エンジニアしてます。ウェブデザイナー、ウェブディレクターとしてウェブ制作の仕事に携わり、今はエンジニア職に流れ着きました。誰かのお仕事をちょっとだけ効率化するような支援ツールの開発が好き。オープンソースとMITライセンス大好き。人生後半は自由と民主主義のコントリビューターとして過ごす予定。

ウェブ制作支援ツール Pickles 2 をオープンソースで開発しています。

PHP/JavaScript/NodeJS/nwjs/Laravel/Pickles2/オープンソース/心理学/倫理/自由と民主主義

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