公開日: 2008年02月18日(Mon)
私は忘れっぽい。と、自覚している。
興味のない話は右耳から入って左耳へスルーされる率が極めて高い。人の名前も覚えられないし、生年月日とか血液型とかちょっちゅう聞きはするが、すぐに忘れてしまって、同じ人に同じ質問を何度もしてしまう。(懲りず怒らず、何度も答えてくれる皆様に感謝)
プログラミングとかでも同じで、一生懸命勉強したことでも、3ヶ月くらいするともう再現できない。忘れてしまっている。興味があって好きでやっていることだから、記憶の寿命はやや長めではあるが、でもやっぱり短い。
このブログを書くようになって、多少改善したと思う。ブログとか、PDAでも手帳でも、いろいろなところにメモを残して、忘れてしまっても思い出しやすいようにはなっている。思い出すときは、たまたま読み返したときではあるが・・・、まぁ、ないよりはずいぶんマシになった。
「忘れる」は、人間が身に付けた重要な機能の一つだという話を見かけたことがある。あとから振り返り易いように自分の言葉で記録を残すことで、安心して忘れてしまうことも、これらのメモによってできるようになった。
こうやって残した自分の脳内の情報は、基本的には誰でも読み出すことができる。たとえば、検索エンジンなどからたまたまやってきた知らない誰かが読むこともできるし、20年後に娘が読むこともできるし、そのころの自分が読み返すこともできる。
きっと、未来のその時には、大変恥ずかしい思いをするだろうな・・・。とは思うが、自分がやってきたこと、考えていたことが、そうやって次の世代に引き継がれていくかも知れないと思えば、それは恥を忍ぶに足る大きな価値だろう。恥ずかしいに違いはないが。
「引き継ぐ」というテーマを設定して考えたときに、このブログの寿命はどれくらいなんだろう、という問題が起こる。ここに限らず、amebloやlivedoorブログやmixiやハテナや、そいういうところに書かれた貴重な記事たちは、たとえば運営会社が倒産したりしたら、一緒に消えてしまうのだろうか。
200年後とか1000年後とかに、2008年の史料を研究している歴史家たちにとっては、くだらないブログ記事だって意味をもっているかもしれない。完全な複製を簡単に作れるデジタル文書は、永遠に保存することができるだろうけど、逆に、完全に破棄してしまうことも簡単にできる。紙であれば何百枚、何千枚、何万枚とシュレッダーにかける必要があるところも、Ctrl+AしてDeleteキーを押して、そしてゴミ箱を空にすれば、たったそれだけでデジタル文書は消えてしまう。
もしかしたら、「残す」という用途について言えば、パピルスの方が優秀なのかもしれない。
・・・もし、明日私が車にハネられて死んでしまったら、このサイトはどうなるんだろう。死んだと同時に消滅してしまう記録なのだとしたら、少し、さびしい。
公開日: 2008年02月18日(Mon)