カオスとコスモス

カオスの反対はコスモスというらしい。

gooの辞書(三省堂提供大辞林第二版)によると次のような具合だ。

コスモス
(1)〔哲〕 秩序ある世界。無限定な混沌と対極的な、万物を秩序立って統一している世界。宇宙。
カオス
(1)混沌(こんとん)。混乱。
(2)ギリシャ神話の宇宙開闢(かいびやく)説における万物発生以前の秩序なき状態。また、同時にすべての事物を生みだすことのできる根源。ケイオス。
(3)初期条件・境界条件を定めると以後の運動が決まるような簡単な系であっても、初期条件のわずかな差で大きく違った結果を生ずるような現象。気象現象・乱流や生態系の変動などに見られる。

と、こんな話を見かけたところで、またLaboratoryに書いた記事「自己相似的組織論」を思い出した。この記事で取り上げたところの男と女の関係が、カオスとコスモスの関係と似ているような気がする。

特に、カオスの「すべての事物を生みだすことのできる根源」という行が妙に気になる。気になるというか、なんか、ワクワクする感じ。カオスが持つ「予測不可能性」が、偶然的な発見に繋がり、それで学習することができる。つまり、知らないことを予測することは不可能で、予測できることは全て知っていることなはずだから、予測可能な範囲には発見などありえないということで、「想定外のハプニングがなければ、広がっていくことはできない」ということに繋がるということなのかも、と。これが最初の神様だなんて、古のギリシャ人はなんともロマンチックで果てしない想像力を持っていたのだな。

混沌から生み出されたものは、秩序ある世界に徐々に定着されていく。もしくは、もしも混沌が有限であるならば、「混沌から生み出された」というよりは、「混沌の中の整理された部分だけが切り離されて分離した」と捉えた方が近いのかも知れない。そのまま進めていけば、やがて混沌は底をついて、世界の全てがコスモスに帰することになる。やはりカオスは、いつかやがて不要になるのかもしれない。

しかしまぁそうだとしても、今はまだ混沌とした領域があまりにも多くて、カオスが不要になるのはだーーーいぶ先だと思うけど。それまでの間は、カオスとコスモスと、バランスよく両立していくことを考えないといけない。人類も、企業でも、家庭でも、なんでも。

と、こんなことを考えていたら、頭の中がカオスになってきた。今日はこれでお終い。

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