つまり、生きることに納得してないんだろ。俺。

「我思う、ゆえに我あり」と、性懲りもなくこの言葉にこだわり続けるのは、「我」を認めて欲しいからなんだろう。だけど、そんなことを誰にお願いしたところで、自分の「我」を真に理解してくれられる人なんかいるわけがないんだから、仕方なくせめて自分だけでも認めてあげようとしているんだろう。だけど、そうしようとしてみても、自分でもよく分からないんだろう。だからこの言葉を繰り返す。そうなんだろう、俺。

どうやら俺は極端にマイペースで、それは小学校に上がる前からずーーーっと言われてきたことで、他人のスピードに合わせるのがすごくヘタクソで、でも無理やり合わせようとすると極端に疲れちゃうから、なるべくなら人と関わるのをやめたいと思っているのかも知れなくて、要するに、「生まれ変わるなら貝がいい」と思っていたりして、やっぱり自分のカラに閉じこもって「我」と向き合ってた方がラクなもんだかから、それ以外の自分ができないことに対して、なんとか言い訳を見つけ出そうと、ついつい必死になって探しちゃう。

最初のきっかけが些細な問題だろうと、重大な問題だろうとに関わらず、最後は必ず「生きなきゃいけない意味」を問うことに繋がって、それに答えることができないということを言い訳にしちゃったりして、自己解決したつもりでいるわけなんだろう、俺。だけどそんなのファンタジーだ。

つまり、過去にも宇宙がどうのと、進化がどうのと、自己相似がどうのと言いながら、必死でその意味を探してまわって、なんとか見つけた気でいたんだけれども、やっぱりいまひとつ納得できていないもんだから、無限の思考のループに陥っちゃって、脱出するのはいつも簡単じゃない。

結局俺は、「我」の領域から脱出する術をいまだに知らずにいるだけなのかもしんない。


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コヤナギ トモヤ

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