公開日: 2008年06月17日(Tue)
自分の頭脳の機能のうち自分の意思がコントロールできる領域はほんの小さな領域に限られ、殆どが潜在的自動的に動作しているとか。自分が認識している世界の全てが、五感を通じて得た情報を元に自分で作り上げた自分だけの固有の世界であるとか。そういったことを意識し出すと、時折他人から聞こえるような気がする「心の声」や、現実と仮想現実の区別なんて本当はないんだという風に思える。
これは、最近のいろいろ科学やなんやという情報を調べたり勉強した結果、知ったり気づいたりしたこと。「自分だけの世界」を意識しすぎると、周囲との関連性が膨大な無駄であるかのように思えたり、信用できなくなったりして、「自分の殻」に落ちていくことに繋がったりする。時々、自分の殻に落ちてしまいたいと願うようにもなる。
そう意識すること自体が「自分だけの世界」での出来事なので証明することはできないが、少なくても自分は「真実」として最も信頼できる仮説だと思っている。おそらく真実だと。しかし、その「真実」を知ったことで、幸せになったかというと疑問だ。つまり、「知らなければよかったこと」があるということじゃないかしら。科学も技術も宗教も勉強も知識も知恵も、すべては「幸せになるため」にあるはずだと信じてきたけれども、なんとなく矛盾を感じてしまう。これ以上知らない方が幸せでいられるのだろうか? それとも、もっともっと深く知ることで、本当の幸せに到達できるものなのだろうか?
話は少し変わって別のお題目。オオカミに捕食されたウサギは、痛いだろうか。恐ろしいのだろうか。
生態系のシステムにとって、捕食は欠かせないプロセスだ。喰われるものがいなければ、生態系は成り立たない。つまり、「喰われる」という機能は、前提として設計されなければならない。
ウサギはオオカミに狙われれば、もちろん逃げる。おそらく恐怖を感じるからだ。逃げなければ簡単に食われてしまう。簡単に食われてしまえば、種が絶える。だから逃げなければならない。そのための防衛機能の一つとして、ウサギにとって恐怖は必要である。痛みも、身体機能の不調を感知するセンサーであるだけでなく、恐怖を知るために必要となる。
しかし、すでに捕らえられた(あとは喰われるだけの)ウサギにとっては、痛みも恐怖も、もう必要ない。そのときのそれは、ただただ残酷なだけである。
shutdown -h now
これは、Linuxシステムをシャットダウンするコマンド。安全に、平和的に、幸せに、活動停止する機能。システムに組み込まれた部分機能を末端から停止して、「自分だけの世界」を孤立させ、そして、最後にそれ自体を停止させる機能。
願わくば、捕らえられたウサギにも、シャットダウン機能が付いていればいい。生きるため、勝ち残るために、痛みや恐怖や悲しみを用いて奮い、そして敗北が確定したときに、「諦める」という選択肢を提供する機能。能力。技術。「気絶」がこれに当たる機能なのかも知れないけど、これだと相当痛い思いをしないと気絶はできない。もっと安らかに、痛まず苦しまずに落ちる機能。
もしかしたら、本当はウサギはこの「諦める」という機能を持っていて、「喰われる」ということは、周りから見えるほど不幸なことではない、という可能性だってある。むしろ、大往生と同じくらい安らかで幸福な瞬間を過ごしているかも知れない。しかしもし仮にそうだったとしても、その機能を後世に引き継ぐのは難しいんじゃないか。「喰われた経験を持つウサギ」はその経験を子孫に伝える術を持たないし、「これから喰われようとしているウサギ」の本当の気持ちや感覚を、それを見ている周囲のウサギは正確に知ることはできず、ただ推測できるだけである。
いや、周りのウサギはこれを知ってはならないのかも知れない。喰われるウサギが幸せであるか否かは、周囲のウサギにとってはどうでもいいことだ。ただその死を見て、恐怖を感じれば、それで十分なのだから。そうすれば、ウサギはオオカミから逃げる努力をして、喰われ放題になってしまう事態を回避できる。逆に言えば、周りのウサギたちの目に恐怖の対象として映りさえすれば、喰われる本人が実はシャットダウンしていたとしても、特に問題はないはずだ。
生態系は「喰われる」を前提に成り立っているのに、自分が認識している世界は始めから「自分だけの世界」だったというのに、「諦める」ことが許されないならば、それはなんと残酷なことだろうか。これはウサギだけの話ではなくて、人間も同じ生態系の一部であるわけだし、それどころか、人間は人間の社会の中に小さな生態系を作り上げている。「喰われる人」は、決して少なくはない。自分も、いつ喰われたっておかしくないオトコさ。
いつだってピンチだ。
オレにだって、ぜんぶ諦めてしまいたいと思ったことくらいある。
・・・と、プルートゥを読みながら、そんなことを考えていました。
公開日: 2008年06月17日(Tue)