ナガオカケンメイさんとD&DEPARTMENT PROJECT

2008年6月15日放送のテレビ「情熱大陸」で、ナガオカケンメイさんというデザイナーが紹介されていた。「古い時代から使われ続けているデザインはよいデザイン。それを、現代の生活に蘇らせようとしている。」という人。

D&DEPARTMENT PROJECTというお店を経営。古いけどまだ使えるもののリユースとか、古きよきデザインで、しかし生産されなくなってしまったデザインを復刻したりとか、そういう事業をしているそうだ。

「カタチを作らず価値を創るデザイナ」。この人の言うことはいちいちスバラシイ。いちいち感動したので、その彼の名言とともに、忘れないようにここにメモる。

ナガオカケンメイ曰く『今のデザイナーの人って、申し訳ないけど、完全に遊んでますよね。なんか、「こんなの作っちゃいました」って、そういうの許せない。』

新しい斬新なデザインは、斬新なだけあって、見る者、使う者に新鮮な印象を与えてくれる。しかし、斬新でカッコイイ道具って、得てして使いにくいとか、すぐ飽きちゃう。つまり、この「斬新」という言葉が「なんとなく見慣れない」というだけの意味に成り下がってしまっているということだ。そんな「新しい」に価値はない。

本当に優れた斬新なデザインは、発明でなければならない。本当に美しくデザインされた製品は、画期的に従来品の問題点を解決していたり、あるいは、それとなく生活になじみ、自然と入り込んでいる。時には、ユーザはそれが優れているとか、美しいということに気づかない。それどころか、それが身近にあることにすら、気づかなかったりもする。それがいい。そうやって、「当たり前の形」になったものが、本当によいデザインと言えるのではないだろうか。そのようにして、優れたデザインは、「長く使い続けられる」ことになる。

ナガオカケンメイ曰く『日本は狂ってますよね。ものすごい量の買い物をして、ものすごい量の使えるゴミを捨てて。「長く使い続けることは素敵だ」ということを、一人ずつ伝えていくしかないんじゃないですかね。』

ひとつのものを、長く所有し、使い続ける。デザインが優れていれば、それはできる。そうするうちに、愛着も生まれて、いつしか自分だけのものになっている(製造されたときにはみな同じ表情で沢山作られたもののうちのひとつだったとしても)。ということを、日本人は知っていたはずだ。知っていたのに、忘れてしまったのか。

デザインを良くするも悪くするも、その責任の一旦は消費者側にもある。消費者が選択したデザイン(つまり売れたデザイン)が、つまりよいデザインだという風になってしまうからだ。だから消費者は、本当に優れたものを選択できる能力を身に着けなければならない。

ナガオカケンメイ曰く『今の環境問題って、捨てることを前提に考えているじゃないですか。環境に悪い素材を使っていても、長く使えばいい。捨てなければいい。捨てることを前提に考えない環境問題(対策)もあってもいいと思うんですよ。』

確かに、長く使えば(つまり消耗してしまわなければ)、環境によいものを捨てまくるより環境によいと言えそうである。環境によいものを長く使えれば一番いいけど。

環境問題もデザインの良し悪しも、消費者が変わらないとダメなのかも知れない。

ただ、「長く使う」をされると、メーカーは儲からなくなってしまうのは事実だろう。ならば、長く使えない方が、商売人としては都合がいい。という理屈に、なってしまうのが問題なのではないだろうか。

ナガオカケンメイ曰く『昔のデザイナって、よき生活者だった。自分で欲しくないものは作らなかった。いつの間にかデザイナは、表面的な形だけを作る職業に成り下がってしまった。自分で作っておきながら、「使い勝手が悪い」とか「環境に悪い」とか言ったりする。』

その「斬新」は、本当に求められているのか? マーケッタは、ユーザが欲しいものを正確に把握しているだろうか? テレビ番組にしても、視聴者が「見たいもの」と「見ちゃうもの」を混同してしまっていないだろうか?

なんとなく外野から眺めていると、誰も欲しがっていないモノが大量に作られ、売られていて、しかも必要ないしホントは欲しくもないのに、売れちゃっているような気がしてくる。

マーケッタは「誰も何も欲しくない」という結論を出すことができない。だから、「見たいもの」じゃなくて「見ちゃうもの」でも、無理やり世に送り出さざるを得ない。だって、生活がかかっているから。資本主義、市場経済主義だから。

「もう十分である」という結論があってもいいじゃないか。今あるスバラシイ生活を、永遠に続けるという選択肢があってもいいじゃないか。

少なくても消費者側にはそういう選択肢があると思うが、作り手側にはどうだろう。それができない作り手が作り出した大量の不要なものが、消費者側にあるはずのそういう選択肢を埋もれさせて、忘れさせてしまってはいないか。「誰にも必要とされていない斬新」を作るのをやめると失業してしまう、と考えている作り手も結構いるのではないだろうか。これをちゃんと改善するには、政治とか経済とかにも、手を入れていく必要があるかも知れない。

下記は、ナガオカケンメイさんの関連リンク。


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