英才教育の是非を問う『和泉元彌の名言』

2008/6/27放送の太田総理より。つるの剛士の「小学校入学前の英才教育を禁止します法案」という議題での、和泉元彌さんの名言をご紹介。

和泉元彌曰く「『学ぶ』は『まね(真似)ぶ』という言葉からきている。キャッチボールでもいいし、家訓でもいい。親であるならば、『自分の真似をして世の中に出て行け』というべき。それを、家の外(の塾)に出して教えようという、親が聞かれて答えられないことをまず子供に与えようというのは、『学び』の始まりとして望ましくない」

まさしくこれが教育のあるべき姿と感銘を受けました。まったく同感。

彼は狂言の宗家に生まれて、1歳半から狂言の英才教育を受けてきた。彼はそれを間違いだとは思っておらず、自分の息子・娘にも同じ英才教育をしているとのこと。だけどそれは、親から受け取った教育だったから、OKだったわけだ。

例えば楽器を勉強するにしても、お父さんやお母さんと一緒に演奏できたら絶対楽しかっただろうし、お母さんとお絵かきしたり、お父さんと粘土こねるのは楽しかったなぁ、と、僕の記憶にもある。粘土やお絵かきを、保育園に通ってたときから単にお教室で遊ぶだけだったら、果たして楽しかっただろうかと思うと、虚しかったんじゃないかな。

ゲームにしても、最初はオヤジが作ってくれたゲームで遊んでた。「オヤジが作ってくれた」といっても、当時ナントカマガジンに載ってたゲームのプログラムを入力してコンパイルしたっていうだけだったんだろうけど、だけどオヤジが夜なべして組んだゲームだったことに違いはなくて、つまり、そんなゲームからも「オヤジ」を受け取っていたのかもなと、いまこんな仕事をしながら振り返るとそう思う。

オヤジの口からでた言葉って、やっぱり自然と心にグサっと刻まれて、そこにはなんか「引き継いだ」っていう感覚が伴う。その言が正しいかどうかは大人になってからじっくり検証すればよいことで、まずは「オヤジの言葉」であるっていうことが重要で、それはどんなに世話になった熱血教師の言であっても、超えることはできないもんだったと、そういう実感がある。そんなドラマチックな名言じゃなくても、算数の公式だって、将棋の「金やぐら」の組み方だって、そんな細かいことでもそうなのだ。

まぁ、習い事もダメとは言わない。週に1つか2つくらいならまぁいいんじゃないかな。本人がやりたいなら。でも、5つや6つとなるとかえって頭がおかしくなるんじゃないかと心配になる。塾や習い事も、子供にやらせる分は、親も一緒に実践できないといけない。子供はきっと、それが一番楽しいんじゃないかしら。

しかし番組後半のこの問題。「うさぎ、くま、きつねの中で、最も体重の重い動物はどれ?」


正解はきつねです。

はぁ?

流石にこれ、ひどくないですか? いったい子供に何を教えたいんですか? こんなのに正解しちゃうような捻くれた子供なんか全然かわいくもないし、賢いかといえばそうも見えないし、こんな大人を育てないでくれと切実に思います。これが英才教育なんですか? この知識や訓練は何に繋がり得るんですか? 世のお父さんとお母さん、よーく考えてくださいよ。

ケビン曰く「こういう教育するとおかしくなる。出題者に問題があるよ。」

よく言ったっ。この番組でケビンさんと意見が合ったのはこれが初めてだ。

そもそも英才教育ってなんなんでしょうね。「英才教育」のイメージを共有できない状態のままで討論してる気がする。


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