「伝える」の何たるかを忘れるな。されど「伝える」ことに執着しすぎるな。

僕も昔は絵を描いたり、音楽を作ってみたりしていた頃があったが、伝えたい(表現したい)メッセージがあったときに、絵にするか、旋律にするか、言葉にするかとよく悩んだ。絵も旋律も言葉も、表現の手段の一つであって、それぞれ得手不得手がある。だから、伝えたい内容によって適した表現方法を、その都度選択すればよいのだと、そういう風に理解していた。

今日「ウェブ」は、僕が表現のために最も多く用いる手段の一つとなった(仕事だから)。もう一度シンプルに「伝える」という角度からこれを見ると、ウェブの表現は圧倒的に言葉に頼っている、ということに気づく。(ウェブの表現がというよりは、単に僕が傾倒しているだけかも知れないが)

いまやウェブ技術の表現力は極めて高度。言葉や文章を表示できるのは当たり前、画像を表示できるのも当たり前。音声を鳴らしたり、動画も表現できる。その上、マウスやキーボードを通じてではあるが、触って動かすことだってできるし、遠隔地のほかの誰かとリアルタイムに繋がることもできるようになった。ウェブ以前にあった表現のうち「(手で直に)触れる」と「におう」「味わう」以外の全ての表現力を、ウェブはそれ単体で備えている。だのに、ウェブ表現は相変わらず言葉に頼る。

昨今のウェブ標準技術は、文書構造(HTML)とスタイル(CSS)を分離して記述するという方式を推奨している。これにより、実に多様な端末から同じ内容のメッセージを読み取れるようになるわけで、つまり、より多くの人(あらゆる人)に対してメッセージを発信することができる仕組みを目指している。

しかし、「文書構造」を記すHTMLは、(ハイパーテキスト記述言語という名のとおり)言葉による文章表現という性格を根底に持っている。

絵画や動画、音声、あるいはインタラクティブな表現をウェブ上に持ち込むことは大いに可能だ。しかし、それらでは「実に多様な端末から同じ内容のメッセージを読み取る」ことは難しい。これを両立するために、代替のテキストを用意する方法が一般的によいとされるが、これをする限りは、文章表現の呪縛から開放されることはない。

  • 芸術は能書きでは語れない。
  • 芸術は理解しなくてもいい。
  • 芸術は表現者の内側から自然と沸いてくる。
  • 芸術は何かを伝える表現である。

優れた彫刻や絵画は、確かに言葉にならないメッセージを放つ。作家の気持ちの動きや体調の良し悪しまでが、作品に表れるという。それもメッセージである。言葉だって、もちろん芸術となり得る表現なわけだが、やはり視覚的な表現とは伝わるものも、伝わり方も違う。

「言葉にできないメッセージ」をウェブを通じて伝えることは、こうした「芸術」を用いることで実現可能だが、「言葉にできないメッセージ」の代替テキストを用意することは不可能だ。

「伝えるとは何か」と考えれば、有効な手段は言葉だとは限らない。だから、芸術的な表現を積極的に用いる方法があることを忘れてはいけない。

しかし、そういう方法で「伝える」ことだけに拘って、それを受け取れる人を少なくしてしまうのでは、伝わっているとは言いがたい。だから、そこに執着しすぎてはダメで、言葉にできないメッセージを言葉にする努力は必要である。

どちらに寄りすぎてもいけない。どちらも忘れてはいけない。

それは、今までになかった表現手段であるウェブに課せられた、今までになかった社会的責任であると納得している。

・・・と、今日は爆問学問『FILE043:「アートのハート 後編 ~伝えること 伝わること~」』(2008年7月15日放送)を観ながら、そんなことを考えておりました。

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2008年7月26日(Sat) 0時55分22秒 「芸術」の語源は「技術」

前回の記事『「伝える」の何たるかを忘れるな。されど「伝える」ことに執着しすぎるな。』の内容と元ネタは同じ(こんどは前編より。爆問学問FILE043:「アートのハート 前編 ~芸術は爆発、か?~」)のだが、もう一つ気になる点があったので、メモ。
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2009年9月2日(Wed) 0時02分00秒 芸術は混沌だ。

2009年8月17日放送の爆問学問「爆笑問題のニッポンの教養」スペシャル:『表現力!爆笑問題×東京藝術大学』。そのちょっと前に、東京藝術大学の宮田学長の出てた『アートのハート前編~後編』の再放送もやってて、もう一回観た。(本放送はもう1年以上前だったんだ・・・もう...

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