「芸術」の語源は「技術」

前回の記事『「伝える」の何たるかを忘れるな。されど「伝える」ことに執着しすぎるな。』の内容と元ネタは同じ(こんどは前編より。爆問学問FILE043:「アートのハート 前編 ~芸術は爆発、か?~」)のだが、もう一つ気になる点があったので、メモ。

「芸術」の語源は、ギリシャ語の「技術」

Wikipedia「芸術」のページによると、

日本語「藝術」という言葉は、明治時代に西周 (啓蒙家)によってリベラル・アートの訳語として造語された

とある。

明治だ。せいぜい100年ほど前、つい最近の話だ。それまで、日本に芸術なんて概念はなかったわけだ。

昔は、政治と宗教は一つだった。おそらく、宗教を柱にした政治を敷くに、シンボルは不可欠で、芸術との関わりは密接だったのではないだろうか。森羅万象を神様が司っていると思われていたころには、宗教は科学とも同義だった。生死や医療も同じだっただろう。

政治と宗教と科学と医学と芸術は、現在よりも極めて密接な関係にあって、ほとんど同じものだった。それでよかったのは、区別が要らないくらいシンプルだったからかも知れない。絵画、彫刻、建築、土木などの技術、数学、天文学、医学、科学と幅広い分野に通じた天才レオナルド・ダ・ヴィンチが生きた当時の知識体系は、鬼才や天才が1人いれば、全体をまかなえるくらいの情報量だったのだろう。(それでも1人で全部やっちゃうなんて、よほどの天才じゃないとできないだろうけど)

それが各方面でどんどん研究が進んで、知識量がどんどん増えていって、複雑になり、専門分野が次々に立って、そして現代のように、政治と宗教と科学と医学と芸術は、各々別々の役割を引き継いだ。ここまで来ちゃうと、もし現代に天才レオナルドがいたとしても、もう全部を1人でカバーするのは無理なんじゃないかしら。

そのうち、芸術が引き継いだのは、「伝える」という役割なのだろうか。

科学(と言っても広いけど)が台頭するに従って、芸術と宗教の役割は少しずつ小さくなっていくような気がしている。もしも科学が、精神のカオスと情報伝達のロジックを完全に解明することができれば、おそらく芸術は「伝える」という役割を科学に譲ることになるんだろう。

それから「デザイン」のルーツは、芸術じゃなくて科学(技術)に属している気がする。技術に属していながら、芸術の成果を上手く取り込んで成立しているような・・・。あ。芸術の語源が技術だから、同じ意味になるのかな?

それぞれ各々の専門分野の成果を総合して、もともとあった一つの概念に立ち戻ってフィードバックできる人が現れたら、きっとその時にまた、世界が変わるんだろう。

きっとそれの変化を起こすも、天才の仕事だ。

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2009年9月2日(Wed) 0時02分00秒 芸術は混沌だ。

2009年8月17日放送の爆問学問「爆笑問題のニッポンの教養」スペシャル:『表現力!爆笑問題×東京藝術大学』。そのちょっと前に、東京藝術大学の宮田学長の出てた『アートのハート前編~後編』の再放送もやってて、もう一回観た。(本放送はもう1年以上前だったんだ・・・もう...

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