公開日: 2007年10月08日(Mon)
「間違い電話」という言葉がある。
これは、電話番号を間違い、予期せぬ相手へ誤って電話をかけてしまうことを言う。
間違い電話を受けた側としては、紛れもない迷惑なことである。しかし人間は、すごく人間らしいこの問題を、すごく人間らしい方法で解決しており、その手法が確立され、広く普及している。
「間違い電話」という言葉がこれほどまでに普及しているということ自体に、その人間らしい迷惑を、暗黙的に受け入れている姿勢を感じる。間違い電話を受けた側の反応も、(悪意の有無によるところだとは思うが)スパムメールに対するそれとは明らかに異なる。間違えた相手を許し、間違いであることを親切に伝えてくれる。まったく知らない者同士であるはずなのに。
だのに、電話をかける側は、許されることに決して甘えておらず、ダイヤルを誤らないように細心の注意を払う努力を忘れない。互いに、妥協しながら歩み寄り、稀に起こるこの問題を上手く解決している。
そして、このような解決方法が、特別なものではなくて、文化風習的に、当たり前のごとく、共通認識として定着しているのだ。
「間違い電話」という言葉には、こうした美しい人間らしさが詰まっている。「間違う」「失敗する」といった人間らしい振る舞いを、単に責めるではなく、これを許し、解決する。当たり前に起こり得るミスを無理やり撲滅しようとするのではなく、それを受け入れながら、「電話」という技術を上手く使いこなしている。この解決のために、お互いになんらの無理もしていない。
これと同じようにして、例えばオンラインのコミュニケーションで起こる問題とか、もっと他の問題も解決できそうな気がしたので話題に上げてみたが、どうだろか。
公開日: 2007年10月08日(Mon)