小中学生がケータイを持つのはまだ早い。か?

こないだ、深夜のテレビ番組(なんていう番組かわからないが、沢村教授サトエリが出てた)で、『小中学生にケータイを持たせるのはまだ早い』というお題で○×アンケートみたいなことをやっていた。結果は40:60くらいの割合で、「Yes」の方が多かった。理由はわからないが、有害サイトへのアクセスを制限したいとか、そういうことじゃないだろうか。

こんなニュースもある。

政府の教育再生懇談会は、5月17日に開かれた会合で、小中学生の携帯電話の使用を制限する旨の提言をする意向を固めた。6月中にもまとめる中間報告書に盛り込む方針。

政府が介入して禁止するなんてことまで議論されているようで、日本人(のオトナ)がいかにケータイを恐れているかということが伺える。

うちにも娘がいる。この問題について、ちょっと前までは僕もケータイ反対派だったんだけど、いまは考え方が変わった。むしろ、小さいうちから積極的に使わせた方がいいと思っている。

「禁止」などという乱暴な発想は、オトナの無責任さの表れである。ケータイを恐れているくせに、ケータイを手放すことができない。ケータイを禁止しようとするくせに、ケータイを持たなくても大丈夫な社会を子供たちの将来に用意できない。

子供たちは、やがて彼らが大人になったときに、ケータイやインターネットと無縁でいることなど、もはやできないのだ。それは、日本に育ちながら、日本語と無縁であろうとすることと同じくらい難しいこと。であれば、ケータイの使い方や、ネット上でのマナーやコミュニケーションのとり方を、早いうちに(言語を教えるのと同じように)教えていく必要がある。

それを遅らせていいことなどない。特に高校生、つまり思春期になって初めてケータイなど手にしたら、親に隠れて何をしててもおかしくないし、それこそ管理も監督も指導もできない。親は、子供が反抗期に入る前の従順なうちからケータイを与えて、ネット上での彼らの行動パターンを把握しておく必要がある。

これは、そういう世界を作ってしまった全ての大人に責任がある。でもオトナには何もできない。子供の行動を把握することも、コミュニケーションのとり方を教えることも。なぜなら、大人たち自身もわかっていないのだから。

だからケータイを禁止する。それでほんとに解決するだろうか?ファミコン世代にあった、「ゲーム機を買い与えるか否か」という論争のときと同じだ。オトナは、子供より先に、ゲームをやりこんで理解していないといけないし、ケータイでコミュニケーションを取ってみて、トラブルが起きたとき、あるいはトラブルを起こさないために、どう指導すればいいか、事前にわかっていないといけない。

昔は、お父さんは子供に遊びを教えてあげられた。メンコ、米ゴマ、鬼ごっこ、秘密基地、竹とんぼ、竹馬、けんけんぱ、などなど。お父さんが遊んだ遊びと、子供が遊ぶ遊びはほぼ同じ。子供がたまに新しい遊びを開発することがあっても、見ればおよそ理解できるものだっただろう。喧嘩もわかりやすかった。どこまでは大丈夫で、どこからが介入すべきか、オトナたちは知っていた。自分もかつて同じように喧嘩して育ったんだから。だから、お父さんは、子供がどんな遊びをして、そこから何を学び、どのように成長していくのか、その過程が手に取るようにわかったのだろう。

いまはそうではないのだ。お父さんがしてきた遊びと、子供たちがこれからする遊びは、時空を超越したかのごとく全然違うものだ。しかも、子供の方がはるかに先進的で複雑で難しい遊びをする。だから、オトナは子供の行動を把握できないし、子供の遊びを恐れる。しかもその結果、子供に侮られたりもするだろう。

もしそうなったら、それこそがまさに危機である。そんなことになってはいけない。家庭は最も基本的な教育機関だ。教育問題について学校や教師や文科省や日教組を責める前に、まず家庭の教育が崩壊しかけている、という危機感を、全てのオトナが意識すべきなのだと思う。

オトナ、忙しい。毎日勉強三昧。モバゲーやって、mixi やって、NintendoDSもやってみなきゃいけないんだから。


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コヤナギ トモヤ

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