公開日: 2008年12月10日(Wed)
モラル(道徳)というと、自己犠牲愛とか、偽善といったニュアンスを含んで聞こえる。自分を犠牲にして他人を助けたり、あるいは、そういう風に見せることで実際よりも多くの尊敬を集めようとしてるんじゃないかとか。でも実際はモラルはそういうものではない。
人間は一人では弱いから、一人で生きるのは不安だし危険だ。だから何人かで集まって集団で生活する。つまり、自分の身を守るために、社会と無関係でいることはできない。社会の一部として組み込まれることは、個人にとって利益となる。
社会の中で生きるようになると、安全になった分、自由が少し削られる。みんなで上手くやっていくためには、好き勝手放題に振舞っていては支障がある。そうならないためにルールが必要で、モラルはもともと昔の頭のいい人たちが考えたそのためのルールだった。なかなか守られなかったり、守られなかった場合の被害が大きいモラルは、特に法律にして、破れば相応の報いを受けることになる。
つまり、モラルは自己犠牲的美的センスから実行されるものではなくて、社会を円滑に運営するために必要なシステムの一部だった。だから、モラルに反することをすれば、社会が円滑に運営されなくなって、自分も含めたみんなが困ることになる。社会に属することが個人にとって利益ならば、モラルを守ることはもちろん利益となることなのだ。
でも現実はそうなっていない。社会の仕組みが、モラルに反した行動が直接利益に繋がるようになっちゃってるのがダメなんじゃないかしら。
モラルが直接利益に反映されるにはどうしたらいいだろう。消費者がもっと意識して選択すればいいだろうか。それともモラルを更に明文化して法律にしちゃえばいいだろうか。もしくは、拷問や洗脳の技術を用いて思想統制する教育改革を敢行し、自分の利益を度外視しても道徳を重んじる、心を抜き取られたような子供たちが社会の中心を担うようになるであろう 20~30年後 を待てばよいだろうか。
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公開日: 2008年12月10日(Wed)