天才は1%の素質と99%の才能

「天才は1%のひらめきと99%の汗」という、トーマス・エジソン先生の超有名な言がある。

が、Wikipediaによると、

『取材した若い記者は私の言葉を聞いて落胆したのか大衆受けを狙ったのか、努力の美徳を強調するニュアンスに勝手に書き換えて発表してしまった』
実際は「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である」との発言だった。言い換えれば、「1%のひらめきさえあれば、99%の努力も苦にはならない」ということである。

とのこと。

なるほど本人の言う「1%のひらめきさえあれば、99%の努力も苦にはならない」は、確かにそうなんだろうと思う。でもなんかちょびっとしっくりこないというか、物足りないというか・・・、自分の実感と合ってない部分があるような感じがする。

で、自分の言葉で言い直してみたのが、表題のコレ。

『天才は1%の素質と99%の才能』

こうしたほうがピンとくる。(とか言ってると「オレ天才」って言ってるみたいだけど)

何かやったときの成果が「持って生まれた素質にはまったく影響されない」とは言えないと思うので、その素質の分が1%。スポーツ選手とかの天才については特にそう思う。そうでなくても、遺伝的肉体的な性格もそうだし、育った環境や親や先生みたいな、人格形成に大きな影響を与える要素も、「素質」に含んでいいと思う。要するに、自分の努力だけではどうにもならない部分。

残りの99%は才能としたけど、そもそも才能とは何なのかと考えると、「どれだけそのことを好きで、楽しめるか」ということじゃないかと思う。楽しいから、失敗しても、何度でも挑戦できる。そうして楽しんでいるうちに、苦労もせず勝手に努力してしまうようになり、いつしかひらめきも得られ易い体質になってくる。

だから、まぁ、結局エジソン先生の言う「努力」と、だいたい同じ意味なんだろうけど、日本語の「努力」という言葉が持ってる苦しさとか辛さではなくて、好奇心とか楽しさからする努力みたいな。それが『才能』なんだと思う。苦しくて辛くて、楽しくないけど無理やり頑張った努力では、なかなか実を結ばない。

だから、一つのことを、極限まで楽しみつくした人は、天才と呼ばれるほどの成果を残すんじゃないかな。

エジソン先生もきっと、1万回失敗してもまだやろうと思えるほど、楽しかったんじゃないかな。それくらいワクワクしちゃうようなひらめきだったんだろうな。と思う。

あと、これにも共感。

17歳の頃にカナダの駅で夜間電信係として働いていた時、何もなければ一晩中「一時間おきに勤務に就いている事を示す信号を送る」という退屈な仕事に飽きてしまい、時計を使って電信機が自動で電信を送る機械を「発明」した。電信を機械に任せて自分は寝ていたところ、まったく誤差なく正確に一時間おきに電信が届くことを不思議に思って様子を見に来た上司に見咎められ「お前が寝てたら定時に連絡する意味がないだろう」と怒られた。これが最初の「発明」だった。

天才の最初の発明も、仕事をサボることがモチベーションだったんですね。

発明に関しては時間を忘れて没頭した。「私が若い頃は一日八時間労働なとどいうものがなかった。私が仕事を一日八時間に限っていたら、成功はおぼつかなかったはずだ。」と語っている。

『仕事をサボる発明のために、昼夜を問わず働く』という矛盾。

でもそれが楽しいんだナ。


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