「車輪の再発明」はイノベーションの入口

割と以前から口にしてきたことだけど、AIが発展してきた昨今にますます重要になってきた気がするので、改めて考えたいテーマ「車輪の再発明」。

特にITに関わる業界で "無駄な仕事を減らすための戒めの言葉" として広く言われていると思うが、実際は "イノベーションを妨げる呪いの言葉" でもあるように見える。良からぬ呪いならば、解かれるべきです。

とは言っても、闇雲に見境なく再発明しまくればうまく行くというものでもない。ということで、この記事では、車輪の再発明 の問題点と、どうすれば 車輪の再発明 を上手く活かせるのか、について考えます。

「車輪の再発明」を禁じて得するのは 先行者

一般に、車輪の再発明を戒める理由は、「すでにあるものを開発し直すのは無駄だからやめるべき」で、チーム全体の無駄コストを省きたいために言われるが、それだけではない別の側面があります。

大昔にネットで見かけた誰かが書いた物語りがすごく印象に残っているので紹介したかったのだが、いまググっても見つからないので、ややぼんやりした記憶でざっくり説明すると、

  • 三國志に登場する天才軍師 諸葛孔明 は、いろいろなものの発明家でもあった。
  • 孔明は人々に自身が発明した車輪を使うようにいい、新しい車輪の開発を禁じた。
  • それによって孔明は、車輪の発明者という先行者利益を守ることができる。

というような内容の話だった。

さすが孔明、天才ですね。

イノベーションを無効化する呪いの言葉

孔明の話が本当かどうかはわからないし、いまググっても類似の話が出てこないわけなので、もしかしたら、あのブログの筆者さんのフィクションだったのかも。が、そんなことはもうどちらでもいいことです。

確かに、再発明を禁じれば、 "いまあるもの" がずっと使われ続けることになる。そうすれば、 "いまあるもの" を作った人は、ずっと "それを作った人" であり続けることができ、その分野での影響力を維持することができる。

だけどその代わり、 "いまあるもの" はいつまでも "いまあるもの" のままになり、イノベーションは起きなくなります。だって、誰も取り組まないので。

他人の轍をなぞっているうちは、誰も見たことのない景色にたどり着くことはありません。絶対にない。可能性ゼロです。

イノベーションが起こせなくなれば、グローバリズムの世界では存在感を失い、脱グローバリズムの世界では競争力を失います。「どうして日本からジョブズのようなイノベーターが現れないのか!云々」と嘆かれるのも、真面目な日本人がこの言葉を大事にしすぎだから、かもしれない。(知らんけど)

もしもあなたが、先行者利益を握っている立場の人なら、この言葉が広く普及することで得をしているのかも知れません。だけど、先行者利益を得られる立場ではないのに、この言葉に忠実に過ごしてきたのならば、少し考え直してみる価値があるかも知れません。

「車輪の再発明」を避けては通れない

イノベーションの空白地はどんどん減っていく

科学や技術がどんどん発展し、人知が拡大していくと、そのぶん新しい発展の余地は狭くなっていきます。

むかしは、日常のちょっとしたところにイノベーションの種は無数にあった。三平方の定理を発見したら、それで偉大な人になれた。仮に、2025年の現在、習ってないのに三平方の定理を閃いた人がいたとしても、「それはもう大昔にピタゴラスという人が見つけたやつで、みんな知ってるよ」とか言われるだけ。三平方の定理は、ピタゴラスという先行者によって永遠に予約されたイノベーション領域になりました。

そんな感じで、現代ほど情報が速くなって、技術や知識が発展、流通してくると、身近な領域はもう既に完成されたアイデアで埋め尽くされていて、完全な空白地など存在しないかのようです。古い時代ではよく聞いたような、 日常のちょっとした気付き とか ヒラメキ 程度のことでは、イノベーションが起きる余地はもうほとんど残っていないでしょう。

それが、AIの発展によりさらに急速に空白地は埋められていきます。

AIの急速な発展

驚異的に開発効率が向上して、開発者の効率はたぶん10倍くらいは速くなっていそうだし、いままで開発などに携わったことがないような普通の人も手軽に作れるようになってきました。この調子だと、来年には更に倍くらい速くなり、再来年は更にその倍くらい速くなっているかも知れません。

世界中の人々が、それほどの開発効率でイノベーションしまくっているわけなので、近場の空白地からどんどん埋まっていっているはずです。

先人の轍を通らないと、空白地までたどり着かない

そういうことで、もう手近な空白地はほとんど埋まっちゃっている。だったら、イノベーションなんてもう必要ないはずでは? と言いたくなるけど、実際はそんなこともない。事実、イノベーションはいろんなところでたくさん起きているし、まだまだ起きるはず。では、空白地はどこにあるのか?

想像してください。

自分の周囲 1km くらいは、先人の轍がびっしり刻まれている。360度どちらの方を向いても、びっしり刻まれている。 誰も通ったことのない空白地は、1km先に広がっている。

そこまでたどり着くためには、先人の轍を辿らなければならない。360度、どちらの方向に進むにせよ、先人の轍を辿らなければならない。

空白地エリアの先には、独自のイノベーションが待っているかも知れないが、先人の轍を辿っている間は「車輪の再発明」をしているはずです。わたしたちはもう、「車輪の再発明」を通らないと、空白地にたどり着かない環境に暮らしているのです。

かくして、イノベーションを起こすには、もう「車輪の再発明」は避けて通れない。と言い切ってもいいのではないか。昔から(少なくとも、孔明の時代には既に)そうだったのかも知れないが、生産性が加速していくにつれて、ますます顕著になってきているように感じます。

「車輪の再発明」の心得

この先のイノベーションに不可避な「車輪の再発明」。しかし、闇雲にやっても疲弊するだけ。「車輪の再発明」に取り組んで幸せになるために、留意すべきポイントを考えてみます。

とにかく着手すること。新しいヒラメキは "実行" の中にある

身近なところに、いままだ空白地が残っているとすれば、物事の深部にある、極々微細なニッチ。ここには可能性があります。先人が通った轍の、轍と轍の間みたいなところ。

深部は遠くから眺めている間は見えてこない。遠くから見て「ひらめいちゃった!」と思うことはあるだろうが、そんなものは少なくとも5万人くらいは既に閃いている誰にでも思いつくありふれたアイデアに過ぎない。近づき、触れ、手を突っ込み、分け入って傷つきながら、肌の触覚を通じて直に体験した者にしか見えてこない。

価値あるヒラメキはその先にあります。

だから、とにかく何でもいいから、着手すること。

本当に何でもいいです。既に5万人はひらめいたであろうありふれたアイデアもいい。実は自分が知らないだけで探せば出てくる既出のアイデアもいい。特に思いつかなければ、写経だっていい。

始めてみれば、何かが見えてくる。

人間のやる気スイッチは、行動すること にあるというけど、たぶん、ヒラメキのスイッチも同じところにある。

何でもいいからとにかく何か行動すると、行動した分だけそれについて理解の解像度が上がる。知っていることや気付きが増える。知っていることが1つ増えると、 "新しいわからないこと" が10個見つかる。わからないこと が見つかると、それについて知りたくなる。知るために、次の行動をしたくなる。これがやる気スイッチの仕組みです。

その繰り返しの中で、時々何かを閃いたりするのです。

または、ヒラメキとは、その発見された "新しいわからないこと" のことなのかもしれない。いままで誰も疑問に思わなかった "わからないこと" を発見したら、それはきっと "轍と轍の間"。イノベーションの種になるアイデアである。(ただし、自分が見つけた疑問が、自分だけの疑問かを知る方法はないんだけど)

関心のあるテーマに取り組むこと

基本的に、車輪の再発明は周囲から見たら、見覚えのあるつまらない活動にしか見えません。なので、周囲が期待や関心を持ってくれることはまずない。その上で自分すら関心を持てないようならば、その取り組みに対する熱量は地球全体でゼロです。熱量ゼロから価値あるアウトプットが出てくる可能性はゼロなので、それならやらないほうがいいです。人間、関心のないものについては注意力が働かなくなるものです。普通に既にある車輪を活用しましょう。

だから、自らの手を動かして作る人、取り組む人自身が、その活動に意味を感じていることが、まず最初に重要な要件です。自分のためだけにデザインしたいとか、ただただ触ってるだけで楽しいとか、仕組みを理解したくてうずうずするとか、そういうことがまずは最重要事項。最初の熱心なフォロワーは必ず自分自身です。最初のフォロワーを大切に。

楽しいは正義!

躊躇なく捨てること

当たり前すぎることだけど、車輪の再発明をしたら、誰でも必ず偉大な発明者になれるわけはない。ほとんどの発明はゴミである。ゴミはゴミ箱に捨てるべきである。ゴミを捨てることに躊躇する必要はない。ゴミを愛してしまえば傷つくだけ。

車輪の再発明はほとんど見返りのない効率の悪い投資である。そもそも、クリエイティブとはそういうもので。100案作ったら、そのうち採用されるのは1つだけ。残りの99案は捨てられる。

再発明された車輪たちは、もっと勝率は低いだろう。たぶん、1000000回作ったら、やっと1つくらいは価値のあるイノベーティブな作例が見つかるかもしれない、というくらいじゃないか。それくらい可能性が低い。エラー率99.99999%。

だから、最初から捨てる前提で始めましょう。

捨て時は、熱量がゼロになった時です。はじめは熱量をもって始めた取り組みも、ある程度進んだら満足してしまうこともあります。満足したなら続ける必要はないです。やめてしまうか、まだ熱を持っている他の人がいる場合は、引き継ぐなどを検討しましょう。

新しい価値は取り組む前にはわからない

Wikipediaの記事に「車輪の再発明が意味を持つ場合」という項目があって、次の項目が挙げられています。

  • コア機能の開発
  • アップグレードや差別化を狙うとき
  • システム要件やライセンスなどの制約が厳しい
  • 発明の苦労を体験したい: 動作原理を学ぶなどの学習目的

確かにそうです。これらは事前に評価できることなので、会社組織で予算をつけるような場面では有用だと思います。が、これらはいずれも既存の車輪の範囲から外れないものばかり。 "アップグレードや差別化を狙うとき" については既存の車輪より優れたものを作ろうとしていますが、これを着手前に計画するのは実際はかなり難しい。たぶん、ある程度再発明作業が進んだあとで考えること。または、意思決定に際して既存の車輪について既にかなり詳しく(写経したレベルで)知っているメンバーが必要なはずです。

既存の車輪をなぞるだけの範囲内には、新しい価値はありません。実際に再発明してみないと見えないことがたくさんあります。

だけど、それは説明できない。その "未知の価値" を会社組織で評価するのは難しい。

とすると、

  • 最初はやっぱり個人の関心駆動にならざるを得ない
  • または、あらかじめ損失を見込んだ薄く広い予算付け

のどちらかになるのじゃないでしょうか。

まとめ

  • 「現場の無駄な仕事を省く」目的でよく使われる「車輪の再発明」ですが、その一方には「イノベーションを妨害し既得権者の利益を守る」という裏の意味がある。
  • 今やイノベーションを起こすには「車輪の再発明」を避けて通ることはできなそう。
  • とにかく関心のあることに着手し、熱量を失ったら躊躇なく捨てるべし。

「他人の轍をなぞっているうちは、誰も見たことのない景色にたどり着くことはない」のと同時に、「他人の轍を通らずには、新しい景色にたどり着くことができない」のも、また真ということ。だって、空白地は残ってないんだから。途中までは同じ轍を踏むしかないのです。そして、独自のヒラメキを得たときに、轍を外れて独自の道を探索すればよい。

そして、最も気になるのはAIの急速な進歩。驚異的なほどに生産性を高めているわけだから、それを使えば作って捨てるコストもかなり小さくなった。

きっと、0%だった イノベーションを起こす可能性が、 0.000001% くらいは生まれているはず。

それでも、1億人で取り組んだら 100%、さらに、1人あたり10個再発明したら1000%。

確率のゲームなので、1つ1つの勝率は小さくても、みんなでやればその分だけ力を増してくる。

さぁ、何か、できそうな気がしてきましたね?

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