昔々、平らな地面の上で天が動いていた。別に、それでもよかった。

昔々、世界は平らな地面で、その上を、円い天が動いていた。

ニコラウス・コペルニクス地動説を唱えたころ、その世界のほとんど全ての人がそう思っていたはずだ。
ガリレオの裁判が始まっても、きっとこの問題はほんの一部の人々にとってだけ重要な関心事であって、圧倒的多数の人たちにとってはどうでもいいことだったんじゃないだろうか。実は。

それでも当時、世界は何の問題もなかった。地面は平らなままでも、別によかった。

大多数の人々にとってどうでもよかったこの問題は、しかしてこれがなければ、たぶん、新幹線も電子レンジも、コンピュータもインターネットも実現しなかったんじゃないかな。
明らかに、どうでもいいと思っていた人たちの生活を一変させた。彼らにとっても、どうでもいい問題ではなかったわけだ。

それが重要かどうか、やってみなければわからない。必要な知識なのかどうか、知ってみなければわからない。一見して無駄な知識かもしれないことも、不毛に見える議論も、終わってみなければその価値は評価できない。

だから、一見して無駄に見えても実は無駄ではないことに必死で取り組んでいる人たちは、きっと永久に必要とされ続けるんだろうと思う。だけど彼らは、彼らの取り組みが実は重要なことなんだと周囲を納得させるために、大変な苦労を強いられるだろうことも否めない。

もしかしたら、彼らはそのために、本題よりも大きな労力を割いているかも知れない。


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ときにはデザイナ、ときにはディレクタ、ときにはプログラマ、ときには何でも屋と、ウェブの世界で未熟ながらもいろいろやっている、コヤナギトモヤです。

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