機能美じゃない美なんてないのでは?

「機能美」という造語があるからには、美じゃない「機能」とか、機能的じゃない「美」が存在するのだろう。

前者は、確かにたくさんありそうだ。というか、いくらか知っている。特に、マイクロソフト社の製品には、これを感じることが多い。これらは、品質を追求してブラッシュアップする過程で発生する未完成品と考えれば、ごく自然なことだし、有望な未来を見いだすこともできる。

しかし後者、機能的じゃない美は、お目にかかったことはない気がする。機能的じゃないがゆえに醜いものはたくさんあるが、美しくて、かつ、機能的じゃないものはなかなか見つけられない。

いわゆる装飾品や美術品にも、その造形や色彩に機能がある。

昔は、例えば洞窟の古い壁画なんかは、記録としての機能があったのだろう。実際、これらの壁画は当時の様子を、記録として現在にまで伝えている。今で言えば文字で残すような内容かも知れないが、大昔は文字なんてなかった。地図だったり、狩や農耕のノウハウを伝えるとか、残すとか。また、そういう機能をブラッシュアップした先に、文字という発明があったりもする。

あと、神様と通じる機能。世界にはいろいろな神様がいて、神様によって美術様式は異なる。日本の美術と西洋の美術が全然違うのは、ぜんぜん違う神様がいたからじゃないかしら。

神様と通じると言うことは、多分、人々の理解を超えた領域に対する説明を求める、あるいは提供するための機能だったりもするだろうし、そのシンボルは、同じ説明による納得感を共有できる機能も備えていただろう。そのシンボルを掲げるだけで、言葉を繰り返し発する以上のメッセージを伝えることができる。

配色だけをとってみても、やはり機能がある。我々は、実は気づかない間に、色そのものからたくさんのメッセージを受けとっているし、その色でなければならないこともある。例えば、警告の色、安心感、信頼感を与える色、暖かい印象を与える色、など。

今、身の回りのイロイロなものを、好きとか嫌いで選択していること、つまり、直接的に「機能美」として意識せずに選択するデザイン的要素のほとんどは、そのご先祖様をたどれば、これら古の機能美の積み重ねだったりするのではないかしら。

そう考えると、最近のプロダクトデザインの傾向で、例えばAppleのiPodのような、極めて直感的でムダがない、合理的なインターフェイスを備え、シンプル・イズ・ベストな風潮が主流になりつつあるのも、我々がそれだけ神様と縁遠い存在になってきて、古くは必要とされた機能を必要としなくなり、それがない方が合理的、つまり、よけいな古い機能がない方が機能的になる世界に到達したからなのかも知れない。


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コヤナギ トモヤ

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