公開日: 2007年12月04日(Tue)
2007年11月27日放送のニッポンの教養「FILE019:「この世はすべて錯覚だ」」。
この放送の中で、
人はこんな風に見たものを知覚しているという話があった。(上記4枚の絵は、放送の録画からのキャプチャです)
だとしたら・・・、というので、ちょっとやってみたのが下記の実験。
これは、上の線と下の線は同じ長さなのに、下の線の方が長く見えるという錯覚。ミュラー・リヤー錯視というらしい。これを、さっきのバナナとトマトの絵のようにモザイク化してみると、
ちょっとわかりにくいが、下の線が長くなる。これが錯覚の原因なんじゃないか!?と思ったのだが、
この、ポンゾ錯視で同じことをしてみる。ポンゾ錯視は、上の線の方が長く見える錯覚だが、モザイク化してみるとどうだろう。
明らかに下の線の方が長いな。うーむ。そんなに単純な話ではないか。やっぱり。
いやいや、それにしても、錯覚ってすごいな。番組で紹介された錯覚作品の一覧
があるので覘いてみたんだけれども、どれもまるで生きているかのように動いて見える。iPodの小さい画面で見たときは動いて見えなかったのだけど、PCの画面で改めて見てみると、動くね。気持ち悪い。
PCでみてるから、ひょっとして動画なのではないかと疑ってみたりもするが、やっぱり静止画像。結局は自分の視覚なり、知覚なり、感覚を疑うことになる。
これらの画像を見たときに、確かに動いて見えているが、画像そのものが動いていないという証拠を確認することはできない。動いていないものを見て、動いているように見えちゃうんだから、証拠の出しようがない。
いかに我々が普段見ているものが、不確実であるかということを再認識させられる。目で見たもの、聞いたものを過信してはならない。こういった錯覚の類も、発現するひととしない人がいるというし、同じものを見ても、人によっては違うように見えているという証拠でもある。
人と人とが誤解のないコミュニケーションをするために、「見える化」ということをまずやろうとするが、これは正しいアプローチだと思うけれども、「見えた」からといって、誤りなく理解を共有できたことには、必ずしもならないという裏づけでもある。気をつけないと、いけないね。
錯覚については、Wikipediaなんかも、ごらんあれ。
公開日: 2007年12月04日(Tue)