公開日: 2008年02月16日(Sat)
子供が風邪をひいたので、スーパーへお遣いへ行ってきた。
今では結構当たり前になった「生産者の顔が見える野菜」。野菜売り場のネギの脇に、そのネギを作った人の名前と写真が掲載されている。
私が手にしたネギの生産者は、額がだんだん広くなってきたくらいの、イカツイ顔つきのおじさん。昔は学校の成績はよくないが、体育はピカイチ、いたずら大好きワンパク君、だけど男気に満ちたガキ大将だった、みたいな、そういう印象のおじさんだった。
学校の成績がどうのとか、体育がどうのとか、男気とか、それが直接ネギを安全で美味しくするというわけではない。だけど、名前と顔が見えるだけで、この知らない普通のおじさんが妙に近くに感じて、親しみを持ってそのネギを手にした。確かに安心感もあったかも知れない。
個人情報保護などもあり、匿名性が高いオンラインの世界。社会がオンラインにシフトすればするほど、社会そのももの匿名性がどんどん上がっていく。極端な話、ネギをオンラインで手に入れるような時代がやってくるならば、スーパーのレジのおばちゃんの顔すら見ないで生活できるようになってしまう。そうなったら、自分がいったい何の社会に属しているのか、わからなくなってしまいそうだ。
インターネット上の情報発信やコミュニケーションも、その殆どが匿名。どういう人の意見なのかとか、信用に足る情報なのかとか、もしかしたらそれはロボットが自動的に発信している情報かも知れないし、個人に成りすました企業の広告活動かも知れない。
政治や社会などを批判するような立場であれば特に、匿名では卑怯じゃないか。公の場(インターネット)で発言すれば、その発言に影響を受ける人が多かれ少なかれいるわけで、そうでなければ発言する意味はなくて、であれば発言そのものに責任が発生するのだから。
「発言者の顔が見える掲示板」、「発信者の顔が見えるブログ」、名を明かし顔を明かして、正々堂々と議論したほうが、楽しいし気持ちいい。自分の記事を公開するに当たって、誰が見てるかわからない緊張感と、それから責任感も生まれていると実感している。そしてその緊張感は、キラのような人物が彼のデスノートに私の名を書いてしまわないよう、余計な言動を慎むことに一役買っているわけだ。
公開日: 2008年02月16日(Sat)