「空気を読む」「相手の気持ちになる」って、どうやるの?

最近の若いモンは空気が読めない(→略してKY)などと言われるようになっていて、このKYという言葉が、ごく一般的な普通の日本語として定着してきているような気もしていて。空気が読めないことが、すごく下等で無能なことであるかのように扱われているような気がするが、空気を読むって実際はすごく難しい技術だ。

だって、空気を読むということは、大勢の他人の心の動きを読むことで、マンツーマンでもなかなか相手の気持ちがわからなかったりするのに、そういう読めないヤツがたくさんいるわけだから、一筋縄なはずがない。

だけど、「私は空気を読んでいる」と主張する人がたくさんいるわけで、彼らを見ていると、確かにちゃんと読んでいるんだろうなぁとも思えるわけで、結構僕自身のココロも見透かされていたりするわけで、確かに「空気を読む」とか「相手の気持ちになる」という技術は、確立されているのかも知れないなぁ、と思う。

というわけで、今日は「相手の気持ちになる」その方法について考えてみた。みんなはいったいどうやって空気読んでるんだ?

人が認識している世界は、本人の主観的に構成された世界であって、人それぞれに固有の世界である。それぞれがそれぞれ違う固有の世界に属していて、しかもそれで成り立っちゃっている。だから、「他人の気持ち」という領域に侵入することはできないし、統一的にココロを計るための共通のものさしも存在しない。だから、相手の気持ちになる、つまり客観的立場から自分を見ることは、不可能なことである。

だけど唯一、自分の世界には侵入することができるハズだ。確かに実感できる気持ち、自分自身の気持ち。唯一確実であろう「自分の気持ち」をものさしにしているのではないか。

相手の気持ちに侵入する方法は存在しないから、相手がした表現からヒントを得るしかない。そして、自分の表現、自分の反応と比較して、「自分がああいう表情をするときは、こんな気持ちのときだ」とか、「自分があんなことを言うときは、こういうことを考えているときだ」という風に、相手のココロを想像する。つまり、自身の主観が客観の立場になっている時の状況をヒントに、客観的視点をシミュレートするということ。

「空気を読む」「相手の気持ちになる」方法は、これしかないんじゃないかしら。

もちろん、人はそれぞれ違う世界を持っているわけだから、基準となるものさしは、当然人によって違うものとなる。だから、厳密に場の空気を共有することはできていないはずだし、場の空気を完璧に読み解いたつもりでいるけれど、実は自分だけ浮いてた・・・、みたいなことも、当然起こり得る。もしかしたら、若者の空気を読めていないのは、年寄りの方なのかも知れない。

だけど、「空気を読む」という共通技術を何年もの長い間運用してきて、特に大きな問題が起きなかったということは、内に持った気持ちと、それに対応する反応・表現は、それほど大きな個人差はないという証明なのではないだろうか。うれしいときは笑うでしょ、みたいな。

こう考えると、「他人の気持ちになる」ために、その基準となる「自分の気持ちを解かる」ことが重要になる。しかし、これが意外と簡単そうで難しい。自分の固有の世界、自分の気持ちといっても、完全に独立した宇宙に浮かんでいるわけではもちろんなくて、互いに影響し合っている。そして、外部からの刺激が、ココロの形を変えてしまったり、それによって形成されたりということも多々ある。そして、自分の気持ちが動いたことが、何の影響によるものなのか、意外と気づかないもんだ。例えば、コーラを飲みたくなったのは、体が乾いているからなのか、無意識に見た駅の広告の影響なのか、判断つかなかったりする。

こういう問題は、普通はどうでもいいことだ。「コーラが飲みたい」という結論だけ理解していれば、解決することができる。飲めばいいんだから。だから普通気にしない。というか気にならない。だけど、相手の反応と自分の反応を比較するためには、自分の反応のサンプルとして、インプットとアウトプットをセットで把握していなければ、参考にならない。

だから、「なぜコーラを飲みたくなったのか?」という、そこへ到達したプロセスを意識して、理解することが、実はかなり重要な要素なのではないか、と思ったわけだ。

コメント (2件)

2010年5月22日(Sat) 2時00分51秒 たくちゃん

日記を拝見させて頂きました。7月に結婚式の予定があるのですが、妻が担当のプランナーの方と気が合わなく、全然親身になってくれないので、担当を別の人に変えたいと今日言ってきました。
私自身、正直プランナーなんて誰でもいいと思っているので、妻の気持ちになって考えてあげることができませんでした。勿論変更していいよとは妻に伝えましたが、妻は私の反応が気に入らないみたいでした。

同じような状況になったことがない場合、相手の気持ちになってあげることって本当に難しいですよね。今後の課題です。日記を参考にさせて頂きますので♪


2010年5月30日(Sun) 19時10分07秒 こやなぎ ともや

> たくちゃん さん
はじめまして。結婚おめでとうございます!
うちの夫婦は喧嘩が絶えないですけど、それ自体は別に悪くないと思ってます(いいことだとも思わないけど)。
大事なのはむしろ "喧嘩するのを面倒くさがらないこと" じゃないかと思っています。
本気で向き合って喧嘩すると、相手にとって重要なこととどうでもいいことが何かわかってくるし、自分のそれとの誤差もわかります。そしたら、お互いに守るべき点と譲るべき点を調整できますからね。
お幸せに!



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