『投資』や『消費』は、『投票』と同じ。

『投資』ってなんだっけ?の続き。

『投資』とか『消費』は、議会制民主主義に例えれば、『投票』に当たる。投票は、自らの票を投ずる前に、各候補者のマニフェストを読んで、その候補者を通じて最もよいと思った政策(または方針)を選択する。そうやって政治に自分の意思を反映できるわけだが、『投資』や『消費』は、社会の経済活動に対して、これと同様の意味を持つ。

消費者は、商品(やサービス)の価格や機能、性能などの事前情報(マニフェスト)を元に、自身が最も支持する商品を検討し選択する。より多くの消費者が選択したよい商品は、いわゆる「売れ筋」になって市場に残り、そうでないものは淘汰されて消えていく。投資も、角度は違うけど同様の影響力を持っている。事業計画(マニフェスト)を元に、将来に期待できそうな事業に対してより多くの資本が投じられる。

つまり、消費者は消費によって、投資家は投資によって、企業に商品の開発や生産、供給を指示することができる。何を期待し、何を要求しているか、意思表示して、それを反映させることができる。例えばエコに関心を持ってそれが重要だと思ったならば、エネルギーの消費効率や環境性能に優れた商品を選択することで、供給の全体をエコ方面へ誘導することができる。

投資家も消費者も、自分の「一票」が社会的にどんな意味を持っているのか、誰にどんな影響を及ぼすものか、よく理解して、考えて行動しないといけない。ただ闇雲に安ければいいとか、儲かればいいという価値基準は必ずしも正しくないし、それが本当に自分にとっての利益を最大化する選択になるとは限らない。

「手ごろな株をいくつか買って、利益が出たら売って、また次のを買う」

前の記事では、こういうスタイルの投資家は、投資の対象が株式会社ルパン3世(泥棒事業)だったとしても、利益が出そうなら投資してしまうだろうと書いた。投資先が泥棒事業者だと知ってて投資する確信犯ならまだいい。現代社会が金持ちから金品を盗み出して貧乏人に配って歩く鼠小僧のような泥棒を必要としていると本気で思っているならば、それは投資すればいいだろう。問題は、そうとは知らずに、泥棒を正義だと思っていないのに泥棒に投資してしまう場合だ。つまりこういう人は、マニフェストを読んでいない。

マニフェストを読まない人、つまり政治に関心がない人は、普通は棄権する。めんどくさいから投票しに行かない。マニフェストも読まず、特に政治的主張もなく、わざわざ票を投じに投票所へ行くとしたならば、その動機とはいかなるものか。それは、よほど無責任で政治をおもちゃだと思っているのか、または不当な利益(賄賂)を目論んだからに違いない。


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コヤナギ トモヤ

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