『美しきもののみ機能的である』丹下健三

2008年8月16日放送の『美の巨人たち』。この日の主役は丹下健三

丹下健三氏、1913年9月4日 - 2005年3月22日。享年91歳。件の東京オリンピック国立室内総合競技場(代々木体育館)のほか、広島平和記念公園や東京都庁舎、FCGビル(フジテレビ本社ビル)などを設計した世界的建築家だそうだ。

番組の最後に紹介された、丹下健三氏の名言。

『機能的なものが美しいのではない。
美しきもののみ機能的である』

去年、『機能美じゃない美なんてないのでは?』という記事を書いたが、これと同じテーマである。この記事で僕は、『機能的ではないものは、美しくない』、つまり、『機能的であればこそ美しい』と考えたわけだが、丹下さんの名言はそうじゃない。逆だ。

それがどういう意味なのか俄かには理解できないが、なんかすごく重要なことなような気がするので、時間をかけて考えていきたい。

それぞれ逆に考えてみると、こうなる。

  1. 機能的であれば必ず美しい
  2. 美しければ必ず機能的である

どちらが真だろうか。と考えると、やっぱり前者な気がしてしまう。後者だと、そもそも「美しければ」という前提が曖昧だ。「機能的」は、ある程度物理的な条件に由来して公平に評価しやすいが、「美しい」はとても感覚的な価値基準で、人によって評価はまちまちになりがちだ。・・・そこの理解が違ってるのかな?

そもそも、「機能的」ってなんだろう。無駄がないことかな。それを使うに際して、無駄がなく効率的であることが、「機能的」だろうか。

そうであれば、手紙よりもEメールの方が機能的だといえる。だけど、手紙よりEメールの方が美しいかというと、それはどうだろうか。違う気がする。

同じ例で考えると、手紙はEメールよりも美しいから、Eメールよりも手紙は機能的であるか。というと、それも違う気がする。

あれ? どっちも間違いになっちゃった。

・・・例が悪かったのかな?

時間をかけて考えていきたい。


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